2021.3.16
「カープの顔」衣笠祥雄の笑顔をチームの伝統にしてほしい~元・広島東洋カープ選手
とは言うものの、私自身は衣笠の現役時代の姿を知らない。
私がカープファンになった1990年には、山本浩二はカープの監督を務めており、その意味で「カープの顔」であった。ところが衣笠は1987年に現役を引退してから、一度もチームに戻ることはなく、3年前にこの世を去った。すなわち、私は「衣笠が赤いカープ帽をかぶった姿」を実際に見たことがないのである。
なぜあれほどの功績を残しながら、衣笠にコーチや監督の招聘がなかったのかについては、様々な憶測がなされている。しかし今はそのことには触れないでおきたい。そして、私がなぜ衣笠を「カープの顔」としたいかというと、衣笠が「笑顔」を大事にした人だからなのだ。
今こそ、笑顔でいることの大切さを衣笠に学ぼう
先ほども書いたように、私は衣笠の現役時代を知らない。知っているのは野球解説者としての姿である。テレビに映る衣笠は、いつもニコニコと楽しげに解説をしていた。これは現役時代から一貫しており、死球を当てられた時も笑顔で一塁に走っていったというエピソードが他球団の選手たちから語られている。衣笠本人も、1984年のセ・リーグMVP受賞時のインタビューに「自分の信条は、明るく楽しく笑顔で過ごすこと」(「朝日新聞」1984年)と答えているほどだ。
また、衣笠は、周囲の人々にも「笑顔でいることの重要性」を伝えた。2016年、25年ぶりのリーグ優勝を果たしたカープの活躍を考えるシンポジウムが広島市内で開かれた際も、衣笠は「優勝パレードの際の選手の笑顔」を印象的な事柄として挙げ、「笑顔の集団には人が集まる。集まればそれだけ多くの知恵と知識が使える。全員が笑顔になれるのが優勝」と語っていたのである(「朝日新聞」広島版・2016年11月7日)。
2020年ドラフトでカープに1位指名されたルーキー・栗林良吏は、かつて北別府学や永川勝浩が背負った背番号「20」を付けることが決まった際に「北別府さんや永川さんのように、チームの顔と呼ばれる選手にならないといけないと思っています」と語った(広島アスリートマガジンWeb )。栗林をはじめ、現役の選手たちが新たな「カープの顔」となってくれることを願いたいが、それと同時に衣笠の言った「選手全員が笑顔であるチーム」という「笑顔の継承」もぜひ続いて欲しい。
それが指導者としてチームに残らなかった衣笠からの、形の残らない唯一の教えのような気がするからである。
●本連載『スポーツ界イケてる顔面図鑑』は残念ですが、今回をもって最終回となります。長い間、ご愛読どうもありがとうございました。いつかまた違う形でお目にかかることができたら、オギリマさんもよみタイもうれしく思います!