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泣き虫番長・清原和博の今後の活躍を見守りたい〜清原和博(元プロ野球選手)

広島カープを、プロ野球を、いやいやスポーツ界をこよなく愛するイラストレーター、オギリマサホ。その愛ゆえか、職業柄か、なんだか気になる、なんとも魅かれる、スポーツ選手たちの顔、顔、顔……見渡せばスポーツ界にはイケてる顔面が大豊作。愛すべきその面々、ちょっと斜め下から分析しちゃいます!
きよはら・かずひろ●1967年大阪府岸和田市生まれの元プロ野球選手。地元のリトル・シニアリーグ時代からすでに大きく頭角を現し、高校入学時には30校近いスカウトの中からPL学園高校を選んだ。PL時代の桑田真澄との数々の活躍、記録はもはや高校野球における伝説といっても過言ではなく、甲子園通算最多本塁打数記録保持者(13本)。1986年に西武ライオンズに入団してプロ入りし、以降、巨人、オリックスを経て2008年に現役を引退した。年々迫力を増すルックスと豪快な行動に、マスコミがつけた仇名は「番長・清原」。

「清原和博」という名前を聞いて、思い出す顔はどの顔だろうか。

PL学園高時代、桑田真澄とともに「KKコンビ」と呼ばれ、甲子園に5季連続出場した頃か。
或いはドラフト会議で意中の巨人から指名されず、唇を噛んで涙を流していた姿か。
私は「清原」と聞くと、秋山幸二と西武のクリーンナップを担い、アベックホームランを連発していた「AK砲」のイメージが真っ先に思い浮かぶ。水色のユニフォームに身を包んだ清原は、西武黄金期の象徴でもあった。

そんな清原が1996年、FA権を行使して巨人に移籍することが決まった時、「あぁ、やっぱり巨人への思いは断ち切れなかったのだな」と感じ、ぜひ頑張って欲しいと思ったものだ。きっと多くの野球ファンも同じように思ったに違いない。
ところが巨人に入団してから、清原の風貌は段々と変化していった。色黒になり、体が一回り大きくなり、坊主頭になり、スポーツ紙や週刊誌において「番長」と称されるにふさわしいいかつい見た目になっていったのである。それでも、清原のトレードマークであった八重歯はまだあどけなく口元からのぞいていた。

2005年、巨人から戦力外通告を受けた後にオリックスに入団した清原は、3年後の2008年に現役を引退した。この年には清原の口元から八重歯も消え、真っ白い歯が真っ黒い肌に一層映えるようになっていた。1985年夏の甲子園、宇部高との決勝戦でサヨナラ勝ちし、金属バットを高く掲げたまま歓喜の輪に加わっていたPLの清原の面影は、もうほとんど見られなくなっていた。

先日、テレビ出演している清原をふと目にした。
周知のとおり、清原は2016年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。今年6月15日にその執行猶予期間が満了し、清原の薬物依存体験がテレビで特集されたのである(日本テレビ系「ザ!世界仰天ニュース」2020年7月28日放映)。スーツ姿の清原は神妙な面持ちで登場し、かつて「番長」と呼ばれたような威圧感は影を潜めていたものの、その恰幅の良さや頬をぐるりと囲う白髭は、時の流れを否応なく感じさせた。同級生の桑田が、52歳になっても「PLの桑田」のイメージとさほど変わらない印象を保っているのとは対照的である。

この番組内で、MCの笑福亭鶴瓶は「元のあんな素晴らしい人(清原)に変わって(戻って)もらいたいと思う」とコメントしていた。「元の清原」とは、一体いつの清原のことなのだろうか……と考えるに、確かに清原の風貌は大きく変化してきたが、その中身はずっと変わらなかったのではないだろうか。
というのも、なぜか常に清原は泣いていたような気がするからである。

面差しはだいぶ変わったが、涙に秘められた思いは今も昔も……
面差しはだいぶ変わったが、涙に秘められた思いは今も昔も……
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オギリマサホ

1976年東京都出身。イラストレーターとしてシュールな人物画を中心に雑誌や書籍などで活躍。中学1年までは巨人ファンだったのが、中2のときに投手王国・広島カープに魅せられ、広島ファンに転向。そのカープ愛が炸裂するイラストエッセイ『斜め下からカープ論』を刊行。野球のみならず、広くスポーツ界を愛している。
Twitter@ogirim

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