2026.10.7
小説家ワナビ同士でつるむのはアリなのか?【新人賞コンプレックス 第6回】
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小説教室と「友だち」
リアルで小説家ワナビが一堂に会する場所といえば「小説教室」だ。同じ講座で学ぶ者同士、多少仲良くなったりするのではないかと私は思っていたが、別にそうでもないと経験者から聞いたことがある。それに、トラブル防止のためそもそも生徒間での実作批評を禁じている教室もあるようで、仲良くなるきっかけすらないケースもある。
ところで読者諸君は「小説教室」をどれくらい知っているだろうか……という質問自体がかなりマニアックで、ひとつでも例を挙げられる時点でだいぶ界隈に詳しい。有名どころでは、芥川賞作家を複数輩出している元編集者・根本昌夫による講座、現役作家や編集者の講評が主体でエンタメに強い森村誠一・山村正夫記念小説講座、ミステリに特化してベストセラー作家を輩出しまくっている有栖川有栖創作塾……などが挙げられる。
白状しなければならないが、私は小説教室に通ってせっせと小説をお勉強している者たちを死ぬほどバカにしていた。小説はひとから学ぶものではなく、ひとりで書かなければならない。真に文学的価値を帯びる想像力は孤独のうちに研ぎ澄まされるのだから……当時、西の文学ヤクザ〝ジャックナイフ〟の異名を轟かせていた私が目の敵にしていた教室がある。SFに特化した「G講座」だ。
この教室は、一年を通して現役作家・編集者がリレー講義を行う形式で運営されている。そして毎回ゲストごとに「実作テーマ」が発表され、それに即したアイデア(梗概)と実作の審査が行われる。この教室が極めて特殊な点は「新人賞」も兼ねているということである。一年を通して受講生たちが戦い、「お題:自由」である最終実作の勝者が「新人賞」を受賞するという流れだ。ちなみに第2回に登場した新人賞バーサーカー・ナオキはここの熱心なウォッチャーで、恋愛リアリティショー的なノリで毎年追いかけている。
私がこの講座を気に入らないと思っていたのは、その実績だった。主要なSF新人賞の選考通過者の大半はここの受講生で、日本のSFがG出身者(以下「G生」)に乗っ取られている……という陰謀論めいた思考をフル回転させていたのだった。私は真の文学を執行し、この者たちを駆逐せねばならないと思っていた。
ところでコロナ禍のとき、「Clubhouse」という通話アプリが流行したのを覚えているだろうか? なんとなく時間を持て余した人間がフラッと現れ、複数人で雑談をするアプリなのだが、そこでSF界隈の若手作家やG生を中心としたアマチュアの書き手がよく集まるようになっていた。そのトークルームを発見した私は村上春樹も驚愕せんばかりの「やれやれ」を炸裂させたのだった──コイツら、群れてやがる。
そこで私のゴーストが囁いた。このコミュニティを爆破しなければならない。日本SFを堕落させているこの連中が、もう二度と小説を書きたいなどと思えないくらい深い傷を負わせねばならない。私は何者かの意思に導かれるまま、まるでダイナマイトをしこたま腹に巻いたような心地で、連中がたむろするトークルームに突撃した。
そこで私は大いに歓迎された。
ある者は私の経歴を事細かにたずね、ある者は自分が今読むべき本の推薦を私に依頼し、ある者はSFマガジンに掲載された私の短編を読んで自分が信じる小説がなにかをはっきり理解したと語った。私は皆の話を傾聴し、そして話せることをすべて語った。ともにネット麻雀を打ち、ごく親しい友人にしかしないような話をするようになっていた。講座課題や新人賞応募予定の原稿の試し読みを求められ、快く引き受けていた。作品の感想をあえて厳しくおこなうと、その場にいた別のG生が「びんたさん、オレも一発シバいていただいていいですか?」と申し出てくるのだった。
彼らとの交流を通し、私は確信したことがある──表現を志す者は、どこかのタイミングで自分と対等に議論できる友人が必要になってくる。もちろん、孤独の中でだけ研ぎ澄まされる文学もあるし、誰からの影響も受けないことで唯一無二の表現者になるケースもあるだろう。しかし、それは一般性が乏しい。この連載を毎回読んでくれている諸君はもうお気づきだろうが、新人賞は天才でなければ獲れないというものでもない。そして着実な努力を重ねれば必ず獲れるというわけでもない。一定のセンスや努力を必要とするが、そこを超えてからはほとんど運ゲーみたいな理不尽なレースであり、見ようによっては茶番そのものだ。そんなものに何年もトライするなんて、冷静に考えて正気じゃない。そしてタチが悪いことに、運よくデビューが決まったとしてもまた別の競争に参加せざるをえなくなる。
アマチュアだろうがプロだろうが、自分の小説を世に出したいとか、小説を仕事にしたいとか、そういうことを思ってしまった時点でそれ相応の狂気が書き手に取り憑く。その狂気に自分ひとりの身体と心で果たして対抗できるかを、少し考えてみて欲しい。少なくとも私には無理だった。私自身、デビューが決まる直前といえば、新人賞を受賞することなんて完全に諦めていた。心が完全に折れていて、一年近く短編ひとつまともに書き上げてなかった。
それでも小説を書けたのは、私ひとりじゃなかったからだ。
先にデビューしていた友人のミシマに「もう君に小説を書けっていうひとはいないよ」と言われ、私は原稿に戻ることができた。実際、その時に書いた小説で私のデビューは決まった。
G生たちとの会話のなかで、私は自分自身のこうした経験を思い出したのだった。世の中には、互いの傷を舐め合うだけのぬるま湯になって全員で堕落する集まりももちろんある。ただ、私の経験と観測上、向上心と他者へのリスペクトを失わない限りそうなることはない。向上心を忘れると承認を求めてしまい、他者へのリスペクトを忘れると口から出る言葉はすべて愚痴になる。G講座は受講生たちが毎月厳しい戦いに晒されるシステムだが、私が話したG生たちは誰も愚痴など言わなかった。お互いへのリスペクトがあり、そして私にシバかられることを求めてきた者たちからは、「良い小説が書きたい」という気持ちがまっすぐ伝わってきた。小説を書くことは孤独であるのはたしかだが、ひとりで書いているわけじゃない。それが感覚的にわかるというのは小説書きとして大きな強みになると私は思う。
私はG生たちを応援していた。
毎月の課題レースの結果をナオキと一緒になって恋リアみたいにウォッチしていたし、G講座の卒業生からの依頼で現役受講者向けのラジオに出たりもした。私はコイツらと日本の新しいSFを作っていく。良い小説が書きたいし、良い小説を読みたい。その認識さえ共有できれば、ワナビの間に争いは起こらない。
私はもう、西の文学ヤクザ〝ジャックナイフ〟ではなかった。G生たちのおかげで、私は〝愛の戦士〟となった。
次回は私のワナビ時代、どんな連中とつるんでいたかを話したい。そして仲間内から「受賞者」が出ると、はたしてサークルクラッシュは起こってしまうのか……我々の友情の真偽を固唾を飲んで見守って欲しい。
次回連載第7回は11/4(水)公開予定です。
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