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小説家ワナビ同士でつるむのはアリなのか?【新人賞コンプレックス 第6回】

新刊『花ざかりの方程式』や『理系の読み方』で注目を集める大滝瓶太さんによるエッセイ連載!
小説家としてデビューするまで「8浪」かかったという大滝さんは、現在でも「新人賞コンプレックス」を抱えているそうです。
そんな大滝さんが、強烈な「新人賞コンプレックス」を抱えた人間たちを描く、前代未聞のエッセイです。

前回、「受験と小説新人賞は本当に似ているのか?」という問いを深堀りしました。
今回は、「書き手同士の交流」について考えます。
イラスト/岸あずみ
イラスト/岸あずみ

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 デビューしてもう何年も経つのにまだ新人賞の話ばかりしている恥ずかしい作家がいる。私である。
 読者諸君は「ワナビ」という言葉はご存知だろうか? wanna be を語源とするいにしえのネットスラングであり、何者かになろうとする人間を揶揄する言葉で、「アイドルワナビ」「声優ワナビ」「芸人ワナビ」「小説家ワナビ」という使いかたをされる。
 もっとも、何者でもない自覚がある人間が「何者かになろう」とする欲求は現代社会では根源的とも言えるほどの強度と一般性を持つ。たとえば、朝井リョウ氏の直木賞受賞作『何者』は大学新卒の就職活動を舞台にその生々しさ、エグ味を優れたエンターテイメントへ昇華した。
 しかしネット民御用達の事典「ニコニコ大百科」によれば、『社会からいわゆる「堅実な努力」と見なされるような人々』はワナビに含まれないらしい。たとえば士業に就くために必要な難関資格の取得のための勉強は「堅実な努力」であり、「弁護士ワナビ」や「会計士ワナビ」みたいな用例はほとんどない。また、先にあげた大学新卒の就職活動のように、敷かれたレールの延長上にある競争に身を投じるケースでもあまり使われていないようである。
 つまり、「ワナビ」という概念は世間的に「堅実ではない選択」をした時点で発生する。アイドルになりたい、声優になりたい、芸人になりたい、小説家になりたい……そうした願望が「堅実ではない」のか議論の余地は大いにあるが、世間的に「堅実」というイメージは皆無だろうことは想像に難くない。本連載の初回の冒頭で、私は「小説家は資格が必要な仕事じゃないので自称すれば小説家になれる」という話をしたのだが、同時に「自称小説家の社会的信用がめちゃめちゃ低い」という警告もした。商業デビューしていようがしていまいが、「小説家」という職業を名乗るだけで良くも悪くも「普通のひと」とは思われない。そして小説が仕事につながっていないと「良くも悪くも」の「良くも」の部分が差し引かれ、「ヤバい奴」に認定されてしまうのだ。
 
 今回のテーマは「書き手同士の交流」である。
 私自身、新人賞に投稿していた「ワナビ時代」に、インターネットや文フリによって多くの小説家志望者と知り合い、交流してきた。多くのひとが少しずつ小説を書かなくなっていったが、幸運なことに私と特に親しくしていた面々はほとんど小説家としてデビューし、純文学界のM-1グランプリとも言われる芥川賞を受賞した者や、本屋大賞の候補にノミネートされる者まで現れた。
 小説家志望者らがどんな自意識を抱えながらいかに知り合い、切磋琢磨するか……その深淵を覗きたい者のみ続く文章へ進んでいただきたい。

「小説家ワナビ」と呼ばれたくない!

 まず「ワナビ」という言葉について私の立場を明らかにしておくと、本当に嫌いである。
「小説家になる」ということ自体が、どこかに雇われたり、実用的な「手に職」とは違う浮世離れしたものとみなされるのは認めるにしても、嘲笑の的になるのは絶対に違う。小説は何かひとつの言語を読み書きできさえすれば原理的には誰でも書ける。しかし、本一冊分の統一性のある散文を書けるひとなど、実際にはすごく少ないだろう。それができるようになるには、それなりの訓練が必要(少なくとも私はそうだった)だし、仮になんの準備もなしにいきなりそれができてしまえたら「才能」と呼んで問題ない。
 それに、少なくとも私は「小説家になりたくて小説を書いた」という人間ではない。小説をずっと書きたくて、そのためには小説で生計を立てられなければならないと思い、小説家になると決めた……
 ……という私の主張を読み、読者諸君は「イキってんな」と思ったのではないか?
 おそらくそれは世間の平均的なリアクションだ。そしてこうした熱弁に「うわぁ……」と後退りする感覚が「ワナビ」という言葉の核と言えるだろう。
「小説を書いている自分」について語るのは、よっぽどの実績を出していない限りどんなに正論を言おうが自己正当化にしかならない。私がこの文章であえて「ワナビ」という言葉を使うのは、小説家を目指す、あるいは職業作家となる上でこうしたメタ認知は不可欠だと考えるからである。

自分を「小説家」と呼ぶのがキツい!

 自意識の問題はデビューしてからもつきまとう。
 たとえばご近所さん、子どもの友だちの親御さん、美容室の担当のひとなど「親しくはないが会話が必要な場面」が発生すると、高い確率で「お仕事はなにをされているのですか?」という質問が繰り出される。
 この局面での答え方は同業者内でも意見が割れるが、「小説家です」と初手から告白するケースはあまり聞かない。特に売れていない場合、相手にめっちゃ気を遣わせてしまうんじゃないかと恐ろしくなってしまう、という同業者がいて、私もそれに同意である。
 ちなみに一番多いのが「自営業」で、私も基本的にこう答えるようにしている。たとえば平日の昼間に美容室に行った時なんて完全にパターン化されており、「お仕事はなにを」「自営業です」「へぇ〜今日はお休みですか」「はい」みたいな感じで、「平日に髪を切りにこれた理由」として処理してもらえる。
 しかし、「自営業」だけでは許してくれないケースもある。
 律儀に業界や職種まで話を深堀りしようとしてくる迷惑なヤツはやっぱりいるのだ。その場合、めっちゃ嘘をついて即興のフィクション空間を楽しむ派と、ギリギリ嘘にならないように答える派に分かれる。後者は「出版業界でフリーランスを……」「へぇ、本とか作ってるんですか?」「はい」と会話が続く。基本的に相手の誘導にのり、勝手に想像してもらった仕事をしているテイでやり過ごす。
 盲点もある。数年前、インフルエンザに罹った際に健康保険で職業がバレてしまった。私が加入しているのは「文芸美術国民健康保険組合」というやつで、当時の保険証には日本推理作家協会に所属していることが書かれていた。そしてそこの病院の医者は待合室の本棚にミステリの文庫本をギッチギチに詰め込んでいるくらい熱心なミステリ読者だったのだ。医者は四十度近い熱に意識が朦朧としている私からあの手この手で筆名を聞き出そうとしてきて、私は自分の秘密を抱えてこのまま死ぬのが楽か、自分が大滝瓶太であることを白状して死ぬのが楽かを考えていた。
 結局、私は筆名を白状したのかどうかは覚えていない。たしかなのは、その病院の本棚には未だ私のミステリが置かれていないということだけである。

いつから「小説家ワナビ」がつるみ出したのか

 私が小説を書き始めたのは2010年の夏。原稿用紙10枚程度の掌編を書き、その感想を誰かに──絶対に知り合いではない誰かに──読んでもらいたかった。そこで私は書きあげた小説を小説投稿サイトにぶち上げたのだった。
 私が使っていた投稿サイトはアカウントを作る必要なく、投稿作はスレッド形式で表示され、読切作品に特化していた。小説を読んで楽しむというより、実作者同士が投稿作の感想欄で批評し合うという、いま思うとかなり独特な雰囲気の投稿サイトだった。そこの常連投稿者たちはことあるごとに「公募」なるワードを発していたのだが、それが「公募文学賞」──「新人賞」であると私は知り、原稿用紙百枚ほどの小説を2010年12月31日に京都市左京区郵便局で文學界新人賞に応募した。これが私の初応募である。
 はじめての新人賞応募の際、私が一番困ったのは「どんなレベルの作品が集まるのか」ということだった。そういうのは受賞作を読んで察せよというのが普通なのだが、私が特に知りたかったのは「予選は通るけれど最終選考に残るほどじゃない落選作」だ。小説を書きはじめて日が浅く、そして大したものを書けていない確信があったため、比較対象として「そこそこ書けた小説」が読みたいと生意気にも思っていたのである。
 いまでこそ「⚪︎⚪︎新人賞二次通過作」は大手小説投稿サイトで検索でもかければすぐ見つけられるだろうが、当時はそうじゃなかった。私がコミュニケーションの法定速度ギリギリのヤンチャコンタクトを炸裂させて新人賞応募者らから聞き出したのは、「小説を書いていることは実生活では誰にも言っていない」、「応募作は基本的に誰にも読んでもらっていない」、とのことだった。
 そのように新人賞応募者とコミュニケーションをとり、一部のひととは互いに応募作を読み合うようになった。接触人数は月日とともに増えていき、私は純文学系新人賞の「落選作」を大量に保有するに至った。そして他者の落選作を必要とする者がいたら、相性の良さそうな者とのマッチングをはかり、両者の合意が得られたところで繋いだりするなどブローカー的なことまでしていた。その趣味が加熱し、勢い余って当時としてはめずらしかった「新人賞落選作品集」を友人たちと持ち寄って同人誌にして文フリで売り捌いたりもした。ちなみにかなり売れ行きは良かった。
 振り返ってみると、新人賞に応募する手前のところ──データというかたちでは表出しにくい「空気」のようなものが、この十数年で大きく変わったと強く感じる。先にも書いたが、新人賞の落選作品はインターネットや文フリで容易に見つけられるし、なにより一番大きな変化は新人賞応募者(つまるところの「小説家ワナビ」)がSNSで表立ってつるみだしたことだと思う。「公募勢」と呼ばれているらしく、新人賞の応募に備えて応募作の試し読みをSNSで募集したり、士気を高めあったりしている。塾講師のバイトをしていたとき「受験は団体戦!」なんて言葉を聞いたことがあるが、そうした空気に近い。
 それと連動しているのか、2020年以降にデビューした作家は「同時期デビュー同士で仲が良い」ように見える。ある日、某新人賞で同時受賞したふたりの作家がパンケーキを食べに行った的なツーショット写真がSNSで流れてきたのだが、私は雷で打たれたかのような衝撃を受けた。よく考えると何に衝撃を受けたのかわからない(メシを一緒に食いに行くくらいするだろ)のだが──これは私がヌルッとデビューして同期がいない僻みか、あるいはSNSで暴れすぎて同業者からうっすらヤバい奴認定されていた古傷に障るだけかもしれない──あの若いふたりの作家が微笑んでいる写真を見て、私はたしかな「老い」を感じたのである。私個人の年齢や心の老いだけではない、私が育った「空気」そのものが老いてしまったような、そうした衝撃だった。 

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大滝瓶太

作家。1986年生まれ。兵庫県淡路市出身。京都大学大学院工学研究科(博士後期課程)を単位取得満期退学。2018年、第1回阿波しらさぎ文学賞を受賞。2023年、初のミステリー作品にして単著デビュー作『その謎を解いてはいけない』を刊行。他の著書に『花ざかりの方程式』、エッセイに『理系の読み方』。最新刊は『口笛吹きと音楽の犬』。

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