2026.10.15
なぜあの人はYouTubeで嫌われるのか? 「文脈非共有罪」に気をつけろ
「誰も傷つかない笑い」ではない
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たとえば、幽霊が見えるという、霊感のある女性ゲストの方が来てくれたときのことだ。どんな話の流れでそうなったのかはもう忘れてしまったが、知り合いと3人でラブホテルに行ったことがある、という話をその方がし始めた。
「ある日、3人でラブホテルに行ったんですけどね……」
という切り口で始まった話だったが、そこから「一緒にいた男性がね…」と、特定の1人の男性との話が3分ほど続いた。「3人でラブホテルに行った」という切り口の話であったのに、3人目については一向に触れられる様子がないまま、ずっと特定の1人の男の話が続いている。これは、話に含まれている特定の文脈が視聴者に共有されないまま放置されてしまっている「文脈非共有罪」に当たり、もしこれがYouTube上の会話であったら「で、3人目は結局どんな人だったの?笑」と、コメント欄で突っ込まれるに違いないと思った。おそらくトークイベントを聞いているお客さんもそこに引っかかっているのではないかと思い、「あれ、すいません。さっき3人でラブホテルに行ったって言ってましたけど、もしかして話に出てこない1人は、幽霊ってことですかね…??」とツッコミを入れたら、客席で爆笑が起こった。なるほど、こういうことで笑いを取ればいいのだな、と腑に落ちた。「その話、視聴者に伝わってない部分がありますよ」という意味のツッコミを手を変え品を変えすれば、客席で笑いが起きるのだ。
たぶん「幽霊が見える」という属性をいじっても、そんなに笑いは起きない。客席にも幽霊が見える人がいるかもしれないし、友達に幽霊が見える人もいるかもしれない。そもそも特定の属性をいじることをよしとしない人も少なくない。でも「その話、視聴者に伝わってない部分がありますよ」という意味の指摘をして不快に思う人は、ほとんどいないはずだ。なぜならその指摘は、話についていけずに置いていかれた客席の側に立ったツッコミだからだ。
まさにこれこそが「誰も傷つかない笑い」というやつではないか、と一瞬だけ思ったが、おそらくそんなことはない。笑いというのは、いつの時代も規範意識とセットになっているものであって、何らかの常識からの逸脱が笑いになりやすい。そう考えてみると、YouTube全盛の今の時代は、第三者にうまく文脈を共有しながら話すことができない人、つまり「文脈非共有罪」を犯しがちな人については笑っていい、という時代になっているのかもしれない。
今まさに書いているこのエッセイも、第三者にも文脈が伝わるように話せないサイトウのことを、冒頭から笑い者にするように書いてきた。しかし、さすが「SNS運用代行」を生業にしているだけあって、実はサイトウは自力でその問題の解決に至っている。
サイトウは、SNS運用を依頼してくれた企業の案件動画を、次のような設定で作ることにした。
サイトウ自身が「仕事ができない支離滅裂な社員」という役柄を演じ、その企業の社長に毎回説教をされる、という形式のエンタメ求人動画だ。この「仕事ができない支離滅裂な社員」という役柄があまりにもサイトウにマッチしていて、サイトウは動画のなかで、社長や同僚の言うことを聞かず、自分の考えをうまく共有することもできず、その結果として突飛なミスをしてしまう社員を演じているのだが、それが100%演技なのか、少しは素が混じっているのか、知り合いである僕ですら見ていて判別がつかない。演技かどうかに関係なく、サイトウの言動のすべてが「仕事ができない支離滅裂な社員」という、あらかじめ設定された文脈のなかに綺麗に回収される作りになっているからだ。
その動画のコメント欄には「この社長の言ってることすごいな」「こんな会社で働きたい」などのコメントが並び、企業のSNS運用としてしっかり成果を上げている。コメントのなかには、それが企業の宣伝動画だということに気づかず、「なんでこんな問題ばかり起こしてるサイトウのことを一向に辞めさせないんだ?」とマジレスする人も出てくるのだが、そんなコメントが来るたびにサイトウは「こんな社員いるわけないでしょ!嘘に決まってるじゃないですかぁっ!」と、ガッハッハと一人で爆笑しているのであった。
(了)
次回連載最終回は11/19(木)公開予定です。
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