2026.10.15
なぜあの人はYouTubeで嫌われるのか? 「文脈非共有罪」に気をつけろ
前回、山下さんが「脱毛」を体験してみて感じたことを語りました。
今回は、YouTubeで嫌われる人のエピソードを入り口に、現代のコミュニケーションにおける「罪」を考えます。

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「文脈非共有罪」に手厳しい時代
世の中には、YouTubeに出演すると、なぜかやたらと嫌われてしまう人がいる。
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知人が運営するYouTubeチャンネルの裏方仕事をいくつか手伝っている。その仕事をするなかで初めて「SNS運用代行」という職種の人たちに出会った。いかにも令和の時代らしい響きがする職業名だが、彼らがいったい何をしているのかというと、動画の企画から撮影、編集、投稿まで、依頼者のSNSアカウントを伸ばすためなら基本的になんでもやっている。
面白いと思ったのは、「SNSを伸ばすこと」を生業にしているにもかかわらず、自分自身がYouTubeに出演すると、なぜか毎回のように視聴者から嫌われてしまう男がいることだ。その男の名を仮に、サイトウとしよう。
サイトウは、いくつものYouTubeチャンネルでカメラマン兼裏方の声役として出演しているのだが、視聴者からの評判がすこぶる悪い。
僕は毎日のように色んなYouTube動画とそのコメント欄を見ているので、サイトウがなぜ視聴者から嫌われてしまうのか、その理由がよくわかる。サイトウはいつも、自分の視点からだけで話をしてしまうからだ。
たとえば撮影中、話の流れで演者の人から「私たちが出会ったのって、いつだっけ?」と、サイトウが聞かれたときのことだ。サイトウは、
「俺が26歳のときっすねえ!」
と答えてガッハッハと笑った。サイトウの頭のなかでは、それで十分に説明がなされたことになっている。仮に知人との間ではそのコミュニケーションで十分かもしれない。しかしYouTube上で配信された動画を見た視聴者が抱く感想は間違いなく「お前の年齢なんか知らねえよ」である。
視聴者のことを考慮するのであれば、サイトウは「2024年ですね」とか「2年前ですね」と、予備知識のない第三者にも伝わる表現を用いて答えるべきだった。「俺が26歳のときっすねえ!」という答えは、情報としては間違ってはいなくとも、YouTube上で配信される会話としては明らかに不正解なのだ。画面の向こう側にいる、なんの文脈も共有していない視聴者には、全く伝わらないからである。
サイトウが視聴者に対して犯しがちなこの罪に名前をつけるとしたら、「文脈非共有罪」とでも言えるだろうか。
YouTubeの視聴者は、自分たちに文脈を共有しない話し方をする演者に対して驚くほどに手厳しい。サイトウのような人間が動画に登場すると、コメント欄には「身内ノリがきつい」「なんか不愉快」「裏方の喋り方が嫌い」などの批判コメントがたちまち並び始める。
いったいどうしてYouTubeの視聴者は、自分たちに文脈を共有しない話し方にそんなにも手厳しいのだろうか。それはおそらく、YouTubeのアルゴリズムがあまりにも優秀すぎるからだと思うのだ。
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YouTuberの多くは、常に自分の動画のパフォーマンスを気にしている。そのときに代表的な指標として見るのが、「サムネイルのクリック率」と「平均視聴時間」の2つだ。
YouTubeのアルゴリズムというのは本当によくできていて、その2つの指標が共に高い数値を記録して初めて、バズる権利が得られるような挙動になっている。どちらか片方でも数値が悪いと、バズる気配は全くなくなってしまう。だからYouTuberは「サムネイルのクリック率」と「平均視聴時間」の両方の数値を伸ばすことに腐心せざるを得ない。
「サムネイルのクリック率」という指標は、視聴者の興味を引けるのであれば「流行りのサムネはパクったほうがいい」「谷間を出せるなら強調したほうがいい」「ただのお知らせも『重大発表』と表記したほうがいい」「致命的でなければ神妙な面持ちで謝罪はどんどんしたほうがいい」等のさまざまな規範を生み出した。
同じように、「平均視聴時間」という指標が生み出したものの一つが、「視聴者と文脈が共有できない話し方は悪」という規範だと思うのだ。
できるだけ長く視聴者に動画を見てもらうためには、演者だけが知っている昔話で盛り上がるべきではないし、多くの人が知らない固有名詞を口にするなら逐一説明を添えるべきであるし、演者だけでスマホで面白い画像や動画を覗き込んで笑うべきではないし、演者の気持ちが盛り上がっているならその理由を説明しながら盛り上がるべきである。
つまり、演者だけが楽しそうにしていて視聴者にはなぜ楽しいのかわからない時間を作ってはいけない。そうしなければ視聴者が途中で動画から離脱して「平均視聴時間」が落ち、その動画がアルゴリズムによって拡散される権利が失われてしまうからだ。
YouTube上ではそんな風に、初見の人が見ても長く視聴される動画ばかりが精度よく拡散され、自分に適切に文脈が共有されることに慣れた視聴者は、サイトウのような身内にしか通じない話し方をする演者を見つけるとコメント欄で非難するようになる。コメントを打つ人が主体的にそうしているのか、それともアルゴリズムにそうさせられているのか、その見分けはもはやつかないが、YouTube上では日々「文脈非共有罪」を犯した者がコメント欄で糾弾されているのだ。
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最近は、そんなYouTube視聴者的な感覚が、YouTubeの外側にまで漏れ出しているような気がしている。定期的にリアルイベントをやっていて、そう思うようになってきた。
毎月1回、代々木駅前にある「A Talk Club WOOFER」というイベントスペースで、「代々木駅前の人生ご相談会」というお悩み相談トークイベントをやっている。毎回ゲストを2人迎えて、今まさに悩んでいることを客前で打ち明けてもらい、登壇者数人で質問やツッコミを入れながら、ゲストの悩みを解決したりしなかったりするトークイベントだ。4年ほど前に立ち上げ、もう40回以上開催しているが、毎回50人ほどのお客さんが来てくれている。
そのトークイベントで司会を務めているのだが、せっかくお金を取って開催しているのだから、少しは笑いが起こる時間もあったほうがいいなと思い、どうしたらお客さんに面白いと思ってもらえるかを考えながら喋っている。
ある時期までは、自分で自分のことを過剰に貶めたり、あるいは壇上の誰かのことを貶めることで笑いを取ろうとしていたけど、そうした振る舞いは今の時代はウケが悪い。なにかの属性を貶めてしまうと、そのことに傷ついて笑えない人が出てくるし、それを聞いて傷つく人がいることを想像して笑えない人も出てくる。客席の1~2割くらいが笑って、あっ、笑っちゃいけないところだった、みたいな空気になってすぐに静まってしまう、ということがよくある。
それではどうしたらいいのかと考えたときに、そういえば今やほとんどの人がYouTubeを見ながら生活をしているのだから、トークイベントでもYouTube視聴者に評価されるような喋り方をすれば面白がってもらえるのではないか、という仮説に至った。つまり、喋っている登壇者の誰かが「文脈非共有罪」を犯したとき、その罪を指摘してしまえばいいのではないか。これが案外、手応えがあった。
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