2022.9.22
自分の推し方が「愛」ではなく「政治」になっていた──最古参になった柴田勝家の苦悩
時代の変わり目
「今までお世話になりましたー、じゃあね、ばいばーい!」
平成30年(2018年)の3月末、これまで戦国メイド喫茶を支えてくれていた徳川めるるちゃんが卒業した。式は楽しく愉快に行われたが、その直後から戦国メイド喫茶は変わっていった。続く5月になると、同じく長い間働いてくれていた豊臣めめちゃんも卒業。さらに店長も退職し、新店長がやってくることとなった。
時代の変わり目であった。石山本願寺が信長公と和睦したことで、長きに渡る信長包囲網が終焉を迎えたようなものだ。事実、ワシの推しである織田きょうちゃんは店の最古参となり、人気と実力ともに織田一強の時代となったのである。
「今日は楽しかったよ。でも予定があって、本当にすまない」
その年の春に開催された、織田きょうちゃんの三回目の周年イベントでの一幕だ。ワシは初めて、推しのイベントを途中で抜け出した。一年前のイベントでは織田軍の皆で盛り上がっていた。それが今年はどうだ。来てくれた客の数こそ満員御礼だったものの、その中で冷めていく自分がいたのだ。
かくして、いたたまれなくなったワシはイベントを退席した。店の外で席が空くのを待っているお客さんもいるというから、こんな自分がいるよりは、と思った。そう思った瞬間、自分の推し方が「愛」ではなく「政治」になってしまったことにも気づいた。
そう「政治」だったのである。がむしゃらに戦場を駆けて武功を立てる時代は終わったのだ。店で最も人気のメイドさんを推す客、それも最古参で筆頭家老とまで言われてしまっている。所詮は自惚れであったかもしれないが、自分のポジションを考えてしまうことが増えた。いかに自分を良く見せ、周囲からの人望を得られるか腐心する……、そんな日々であった。
ただし、こんな「政治」をするようになったのにも理由がある。
「勝家さん! 知ってますか、きょうちゃんって○○さんと外で会ってたって!」
「この間、きょうちゃんが□□って人と……」
この時期、きょうちゃんへの誹謗中傷がつとに増えていった。筆頭家老ということでワシへ注進する人が後を絶たなかった。店で一番の人気メイドであり、全く前科がないとは言えない相手だ。もとより秋葉原界隈は真偽問わずの誹謗中傷が起こりやすい場で、織田きょうというメイドは格好の餌食だったのだ。
「大丈夫大丈夫、問題ないっすよ!」
そうした話が起きるたび、ワシは昔のように悪い噂を否定して回った。中には事実に近いものもあったが、問題が大きくならないよう根回しを続けた。もう何も考えずに推せる日は来ないのだろう、という実感があった。
ところで、このエッセイで当の推しである織田きょうちゃんの描写が少なくなってきたように見えるはずだ。
それもそのはずで、2018年の前半は半分以上が喧嘩を繰り返していたからだ。先に語ったように、週に一回はワシの元にきょうちゃんの悪評が届けられた。そのたびに彼女に真偽を確かめ、違うことがあれば噂を正していく作業を続けた。彼女にとっては、痛かったり痛くもなかったりする腹を探られ続ける日々で、ワシにとっては次々と湧いて出る悪評を処理する日々だ。すれ違わないはずがない。
「かっちゃん、もう止めようよ。推してくれる織田軍の人たちさえ、私のことを信じてくれればいいから……」
「ああ、そうだ。そうだな……」
そんなことを言われて仲直りしたこともある。それでも、悪評を放置すれば織田軍の心まで離れていく。彼女自身、それで今いる織田軍だけで細々と続けようとはしなかった。拡大路線は止まらず、以前に話したように古くからの織田軍は推しと話す機会を逃し続けた。
「いっそ卒業してくれれば、織田軍も彼女から解放されるのだろうか」
その頃のワシは完全に本能寺の変を起こすかどうか悩んでいた。柴田勝家がメイド喫茶に行くことで、明智光秀の気持ちを理解してしまったのだ。
当時、この辺のことを友人の作家である小川哲に話したら「金払って喧嘩しにいってんのヤベぇな」と言われた。ぐうの音も出ない。
というわけで、2018年は推しとの喧嘩の日々だった。
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