2020.3.30
夫が消した社内定期預金の行方
年子での出産と育児ノイローゼ
チキ子と夫は結婚してから、
会社の借り上げ社宅のマンションで二人暮らしを始めた。
夫婦二人にはぜいたくな2LDKで、
子供ができてもそのまま住めるほどの広さだった。
結婚が決まった時点で、
チキ子と夫はそれぞれ別の支店への異動が内示され、
しばらくは共働きとなった。
結婚して半年くらいでチキ子の妊娠がわかり、
できるだけ勤務を続けた後で産休に入った。
生まれたのは男の子だった。
育休を取った上で職場復帰をと思っていたが、
すぐに次の子を妊娠した。
育休に続けて次の産休をとも思ったが、
産休と育休を繰り返すことへの
風当たりが強いことは簡単に予想できたし、
それで夫が働きづらくなっても困るので、
チキ子は退職することにした。
もともと「こだわりがあって」信金を選んだのではない。
チキ子は専業主婦となった。
二人目は女の子だった。
しかしいわゆるワンオペ育児で、
一才児と〇才児を同時に育てるのは、
本当に大変だった。
身体のしんどさ、気持ちのプレッシャー、
やり場のない「閉じ込められた気持ち」、
その大変さは、定時で終わる会社で働く比ではなかった。
どちらかというとノンキ、
どちらかというと鈍感なチキ子でも、
どんどん心の余裕がなくなった。
家に帰ってきた夫が、
チキ子も知っている信金の同僚や上司たちのことを、
楽しそうに話すのを聞くだけで、
心がワサワサとなり、
持っているコップをシンクに投げつけたい衝動に駆られた。
子供用の食器がプラスチック製なのは、
母親が育児のストレスで投げつけても割れないように、
そんな工夫もあるんじゃないかとすら思った。
そんなときもチキ子が爆発せずにいられたのは、
母親のおかげだった。
大人一人ならバスと電車でたった三十分で行ける実家なのに、
赤ん坊を二人も連れて行くとなると、何かと手間がかかり
一時間以上にもなる。
しかもその一時間は、たくさんの舌打ちや、
邪魔なモノを見る周囲からの目線を一身に浴び、
とにかく一メートル前に進むために、
「すみません」「ごめんなさい」を、
念仏のように唱えるという道のりだった。
でも実家にたどり着けば、
母親は常に優しくチキ子を迎え入れてくれた。
チキ子の育児の疲れを包んでくれたし、
夫に対するイラだちもわかってくれた。
「お父さんはそんなことなかった?」
とチキ子が聞いたら母は大笑いした。
「お父さんはアナタの旦那さん以上に、
育児のことなんてほったらかしだった。
子供なんて勝手に育つんだろうって言われたことだってある」
と母は言った。
チキ子は驚いた。
お互いに思いやっているようにしか見えない、
父と母からは想像できなかった。
「私はもうそれを聞いて、こちらが折れることにしたの。
その代わり、お父さんが稼いでいるお金を、
私と子供のために使ってやるって」
そこから母親の節約が始まったそうだ。
母が父の給料で、貯蓄をし、家のローンを返し、
保険金の支払いと子供の学費をと回していたのは、
「私が産み育てた子供のため」と、
気持ちを切り替えたからだというのだ。
そしてコンビニのレジ打ちのパートに出て、
その給料から、日常生活費を支払うのは、
「今、お父さんと家族を、
私が稼いだお金で食べさせている」
と実感したかったからだというのだ。
デキる主婦だと思っていた母が、
まさか、そんな屈折した気持ちを持っていたなんて、
とチキ子は驚いた。
「おかげでお父さんともギスギスしなくなったし、
お金も貯まったし、
子供たちもみんないい子に育ったし、
結果オーライよ」
と母は、チキ子の子供たちをあやしながら言ってくれた。