よみタイ

「名古屋めし」ブームの陰で、八丁味噌は特権階級から転落した

博覧強記の料理人、美味の迷宮を東奔西走す!
日本の「おいしさ」の地域差に迫る連載。

前回に続き、知名度抜群のご当地味噌、八丁味噌について考えます。

醤油と味噌③ 八丁味噌という特異点

 社会人2年目で、転勤をきっかけに、僕の初めての名古屋暮らしが始まりました。
 名古屋支社出勤初日に、先輩方にランチに連れて行ってもらいました。喫茶店のランチなのにそこらの定食屋よりボリュームも品数も充実している、という名古屋ならではの文化に少したじろぎつつ、まずは味噌汁を啜った僕に、愛知県南部三河地方出身の先輩がこんなことを言います。
「名古屋じゃ味噌汁はどこ行ってもそういう『赤だし』だでよう、よそからきたら最初はキツいかもしれんけど、そのうち慣れるでまーいっとき我慢したってちょう」
 しかし実は、僕はその時点でウキウキでした。なぜなら子供のころから、赤だしの味噌汁は大好きだったからです。実家では、常に2種類の味噌が常備されていました。九州ならではのクリーム色の甘い麦味噌と、赤だしに使う八丁味噌です。普段の味噌汁は基本的に麦味噌でしたが、赤だしが登場するのは、少し特別な日でした。出前のお寿司とか、天ぷら、すき焼きなどの、ちょっとしたご馳走の日に限られていたのです。
 麦味噌の味噌汁は、豆腐や野菜がどっさり入った具沢山なものでしたが、赤だしの時は、具はあくまで最小限でした。僕にとっては赤だしの方がずっとおいしかったし、そっちの味噌汁の方が高級なのだろうとも思っていました。だからこそ具も最小限で、なるべく純粋に味噌そのもののおいしさを味わうのだろう、とも。
 その解釈は、実は案外正しいものであったとも言えるのですが、その話はまたもう少し後で。なにしろ初めての名古屋ランチで大好きな赤だしを啜りながら、僕は、こんなうまいものに毎回ありつけるなんて最高ではないか、と思っていました。小鉢の冷や奴にまで味噌がかかっていたのには、さすがに少し引いたのですが。

記事が続きます

 赤だしに使われるいわゆる八丁味噌は、製法からして独特です。ふつう味噌は大豆を主原料であるにしても、そこに麦や米のこうじを加えて作られますが、八丁味噌は豆こうじで作られる、塩以外は大豆100%の味噌です。熟成期間も長く、独特の酸味や苦味もある深く濃い味わいが特徴。
 個人的にこの八丁味噌のおいしさを最大限に生かした料理のひとつが「味噌煮込みうどん」だと思います。多くの人が少し思い違いをしている気もしますが、あれは主食というよりむしろ「おかず」です。味噌煮込みうどんは、ご飯と一緒に食べてこそ、その真価を発揮します。言うなれば、うどんのバリエーションのひとつと言うよりは、味噌汁の最高峰なのです。
 逆に、ご飯が無ければ、それはいささか味が濃すぎるとも言えます。味噌煮込みうどんに限らず、近年は「名古屋めし」とも呼ばれて半ばブランド化したこの地のローカルフードに対しては、とかく「味が濃い」という評価がすっかり定着しています。名古屋人も、もはやすっかり開き直って、「名古屋めしは何でも茶色だでよう」と自虐ネタにまでしてしまっています。そんな茶色くて濃い名古屋めしの象徴が、この八丁味噌です。「名古屋ではなんでもかんでも味噌をかけて食べるんだわ」というのも、お得意の自虐ネタです。
 そんなわけで八丁味噌は今や、下手物げてものは言い過ぎにしても、どちらかと言うとジャンクなB級グルメ的イメージが定着しつつあるようです。

記事が続きます

 しかし歴史を遡ると、かつて八丁味噌は、そういうイメージとは真逆と言っていい存在でした。
 ここに一冊の古い本があります。明治40年刊行の『弦齋夫人の料理談』(実業之日本社)、これは日本初のグルメ小説とも言われる『食道楽』がベストセラーとなった小説家・村井弦齋氏の夫人が著した、家庭向けの料理指南書です。「味噌汁の立て方」という一節から、ちょっと気になる部分を抜き出してみます。

〔記者〕三州味噌とはどんなものです。
〔夫人〕三河の国から来る味噌で、あの辺は豆が良いため味噌がよくできます。三州味噌の中でも岡崎の八丁味噌が良いのですし、八丁味噌の中でも太田製が一番上等です。

 本書では、普通の「から味噌(おそらく日常的な普通の味噌を指していると思われます)」を使う時も、三州味噌を半分混ぜた方が良い、と指南されます。三州味噌が無い時は(仕方がないから?)普通の味噌に砂糖を加えよ、とあります。三州味噌(八丁味噌)が、特別おいしい味噌として認識されているのは間違いないでしょう。
 もう一冊、こちらは昭和4年刊行『味噌と醤油』(黒野勘六 帝国教育会出版部)より。

(八丁味噌は)一種固有の香気があり美味なことではこの上に出るものがない。従って価格も高く一流の料理に使用され、一般にはあまり使われていない。

 こちらでもやはり完全にプレミアム品扱いです。本書では八丁味噌以外の各地の味噌に関しても解説が並んでいますが、八丁味噌については記述も多く、手放しの賞賛ぶりも含めて、あきらかに別格扱い。
 もちろん、この2冊だけが特別というわけではありません。少なくとも戦前に味噌の種別について書かれたものでは、八丁味噌はだいたい常に特別扱いです。

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)など。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)、『ミニマル料理「和」』(柴田書店)。

週間ランキング 今読まれているホットな記事