よみタイ

「昔ながらの中華そば」がとんこつラーメンだったなら

博覧強記の料理人、美味の迷宮を東奔西走す!
日本の「おいしさ」の地域差に迫る連載。

前回まで5回にわたってお届けしたラーメン編。
今回が大団円です。

辺境から見たラーメン⑥ 原風景としてのラーメン

 日本で最初にラーメンが食べられ始めたのは、明治中期と言われています。それは東京や横浜に少しずつ増え始めた中華料理店で提供され、当時は「支那そば」「南京そば」等と呼ばれていたようです。当初は豚ガラでだしを取った塩味のスープだったのが、次第に日本人の好みに合わせてあっさりとした鶏ガラ醤油に変化していき、それを看板メニューとした日本最初のラーメン店が浅草で創業した〔来々軒〕である、というのが従来の定説でした。
 近代食文化研究会著『お好み焼きの戦前史』は、この定説を疑問視しています。早い時期から塩味だけでなく醤油味のラーメンも存在したことを示す資料もあり、当時の中華料理店では中国伝来の様々な麺料理が試されていたのではないか、という推論が展開されているのです。また来々軒と同様の業態は来々軒創業以前から存在し、来々軒の本当の功績とは、新聞広告などの宣伝に力を入れたことで大繁盛しラーメンを世間に広く知らしめたことである、というのが同書の主張です。
 いずれにせよこの時代、中国的な豚ガラの塩ラーメンは一旦表舞台から姿を消し、日本独特のラーメン文化が産声を上げたということになりますね。しかしながらこの幻の豚ガラ塩ラーメン、当時の味は想像するしかありませんが、実は結構おいしかった、というかかなり僕好みだったのではないかと思えてなりません。おそらく似たようなものとして、すぐに連想するのは、あまり白濁していないタイプの長浜ラーメン。一般的な博多・長浜の濃厚なラーメンとは対極にあるような、スッキリとしたラーメンです。そもそも博多ラーメンも最初は全く白濁していなかったそうですし、同種のラーメンは鹿児島にもあります。

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 明治時代の東京では豚ガラのスープはあまり受け入れられませんでしたが、昭和に入ってからラーメン文化が根付いた九州ではそれが歓迎されたということになります。時代なのか地域性なのか、おそらく両方なのでしょう。今では東京でもとんこつラーメンはすっかり市民権を得ており、何なら博多ラーメンに関しては、臭みの強いタイプの方が高く評価されがちな印象すらあります。
 しかしその前段として、かつては「東京とんこつ」「ライトとんこつ」と言われるような、臭みをなるべく出さずにしっかりと白濁させ、麺も従来の一般的な麺に近いものが流行した時代もあったようです。今なおひっそりと営業しているそのタイプの店を探して訪ねたことがありました。それは(あくまで個人的にはですが)、この系譜がほぼ絶えたのも宜なるかな、という印象でした。
 歴史の「if」を想像するのは楽しいものですが、もし明治時代の東京で豚ガラの塩ラーメンがそのまま受け入れられていたとしたらその後のラーメン文化は如何なるものになっていただろうと考えると、ちょっとワクワクします。
 もちろん実際はそうならず、今「懐かしの中華そば」と呼ばれるような、鶏ガラ醤油ラーメンのスタイルがいったん確立したわけです。それは中華料理から始まった中国の文化と、東京ならではの蕎麦文化の融合でもありました。蕎麦屋で「種もの」と呼ばれる、各種の具材を上乗せしたかけそばの発想は、ラーメンにそのまま引き継がれました。特に「おかめ蕎麦」と言われる、ナルト、かまぼこ、椎茸、ほうれん草、タケノコ、海苔などが賑やかに並べられた蕎麦は、明らかに具材が部分的に共通しています。

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 そんなナルトやメンマがのった古き良き「中華そば」は、ラーメンの正史においてはラーメンの原風景とされています。それに対しては「懐かしい」という印象を述べるのもお約束で、まさにこれはラーメンルールのひとつ。
 しかし本当は、誰もがそこに懐かしさを感じているはずもありません。例えば僕がこのタイプのラーメンを初めて実際に食べたのは40歳を過ぎてからでした。小学生の頃になぜか強烈に憧れてから、30年以上経過していたということになります。東京で生まれ育っていたとしても、若い世代にとっては知っているけど食べたことのない食べ物だったりもするでしょう。
 かつては「とんこつ遺伝子が反応するラーメン」しかおいしいと思えなかった僕ですが、今ではもっとずっと広い幅でラーメンを楽しんでいます。あっさり系で言えば、貝だしのラーメンが特に好きです。しかし、この「懐かしの中華そば」のおいしさは、正直いまだによく理解できていません。「結局こういうのがいいんだよねえ」と嬉しそうに語る人は、本当に嬉しいんだろうなとは思うのですが、僕はそこに曖昧に相槌を打つしかないのです。

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新刊紹介

稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)など。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)、『ミニマル料理「和」』(柴田書店)。

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