2024.4.6
極私的ナンバーワン、甘くない「京都のきつねうどん」
日本の「おいしさ」の地域差に迫る短期集中連載。
全5回にわたりお届けしている「うどん編」。
前回は、讃岐うどんが一気に全国区になった過程が綴られました。
今回は、稲田さんの青春の味? 京都のうどんについて。
うどん編② 主観的には日本一、京都のうどん
前回、京都での学生時代に「冷凍讃岐うどん」にハマったという話をしましたが、この時代、僕はもうひとつの生涯忘れられないうどんに出会っています。それが、京都の街中のごく庶民的な定食屋さんやうどん屋さんで食べられるうどんです。
こういったうどんを、「讃岐うどん」に対抗して「京うどん」と呼びたい気持ちも無いではないのですが、僕はどうしても、どこかそれを憚ってしまいます。それは決してローカルグルメというものでも、名物として喧伝されるべきものでもなく、ただただ近所で生活する人々のために、当たり前のようにそこにあるものだからです。
京都でこの種のうどんを提供するのは主に、「餅系食堂」と呼ばれる大衆食堂です。京都には元々庶民的な和菓子屋さんが食堂も兼ねることになった店が多数あり、その多くが「〇〇餅食堂」という店名を冠しています。もちろんそれ以外にも、いろいろなお店で「京都風のうどん(“京うどん“に非ず)は提供されています。
僕が学生時代に足繁く通ったお店は、基本的には製麺屋さんであり、その一角でうどんを食べさせてくれる店でした。成り立ちは讃岐うどんとどこか似ていますが、もちろんうどん自体は別物です。手打ちではなくあくまでオーソドックスな機械製麺、しかもあらかじめ茹でて1食分ずつ玉わけされていたからでしょうか、特に「コシ」というべきものはありませんでした。市販のゆでうどんと比較すると、やや細く、また滑らかな食感でしたが、決してそれと大きな差があるわけでもない印象でした。
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しかし、そんなことはどうでもいいことなのです。ポイントは「つゆ」、いや、「ダシ」です。前回、僕が鹿児島で食べていたうどんつゆはいりこダシで、そこは讃岐のかけうどんとも共通する要素だった、ということを書きましたが、京都のつゆは、それとも全く異なるものでした。そのつゆからは、上品に、しかし力強く、鰹節の香りがたちのぼります。それは慣れ親しんだいりこだしとは違う、高級感があって、どこか雅な香りに感じられたのです。
あっさりとした味付け自体は、よく知っているうどんつゆと似ていましたが、それよりは幾分薄味で、特にみりんなどの甘味はごく控えめ。そのキリッとした味わいに、ますます雅を感じたものです。当時10代の僕は当然、常にお腹を空かせた腹ペコヤングでしたから、そのうどん屋さんでは、うどんに白ごはんとちょっとしたおかずが付く「定食セット」をよく食べていました。この定食セットのおかずが、「だし巻き」「菜っ葉とお揚げさんのたいたん」「ひじきとお豆さんのたいたん」といった、いわゆる「おばんざい」で、僕はそのおいしさにも夢中でした。一介の貧乏学生でしたから、京料理というものには無縁でしたが、僕はそのうどん屋さんで「京料理とはすなわちだいたいこのようなものであろう」と勝手な想像を膨らませていました。実際に(たまには)本物の京料理にありつくことのできる大人になった後、僕はその想像があながち間違いでもなかったことを知ることになります。
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そんな京都のうどん屋さんを代表するメニューのひとつが「きつねうどん」です。時に「きざみきつね」あるいは単に「きざみ」と称されることもあるそれは、それまで知っていたきつねうどんとは、これまた完全に別物でした。きつねうどんの揚げと言えば、大きな揚げを甘辛く煮付けたものを思い浮かべる人がほとんどかと思いますが、京都のきつねは違います。ふっくらとした揚げが、味付けされることなく短冊に刻まれ、ざく切りの九条ネギとともにうどんに載せられたものがその正体です。その店で初めてそれに遭遇した僕は、文字通り狐につままれたような思いでした。『京都食堂探究』(加藤政洋・〈味覚地図〉研究会)では、かつて大阪の揚げは安価な鯨油で揚げられており、どうしてもその臭みを除くために油抜きして濃い味で煮る必要があったのに対し、京都の揚げは当時まだ高価だったクセの無い菜種油で揚げられていたため、そのままうどんに入れることができた、という興味深い説が紹介されています。
ともあれ、狐につままれる思いを味わった僕は、食べ始めてすぐに感激することとなります。実は僕は、甘く煮た揚げが子供の頃からずっと苦手でした。だからお稲荷さんもきつねうどんも、決して自分からそれを食べようとは思わなかったのです。しかし京都の、甘くないきつねうどんは違いました。揚げそのものは大好きだったし、そこに加わる九条ネギとの相性も抜群でした。
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