2025.5.24
妻が見られなかった目黒川沿いの桜を、今年見て思うこと【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡10】
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僕が原稿を書いているとなりで、福がくるっとまるまってスヤスヤと寝息を立てています。アウトドア愛好家が煩わしい人間関係としばし距離を置くために森に籠るとき、相棒として犬を連れていく人がとても多いんですよ。熊除けとしての役割もあるけれど、それよりも、そばにいて孤独を癒してくれる存在としての意味が大きい。僕もキャンプに行くときはたいていひとりですが、福を連れているので、あまり“さみしい”と感じたことがありません。会話があるわけでもないし、ずっとそばにいるだけなんだけど、テントの中に福の気配があるだけで、「ああ、ひとりじゃないな」と思えたりします。焚き火のそばでぼーっとしているときも「ちゃんと、となりに誰かがいるなあ」って思えて、それだけでなんだか十分なんですよね。
前にSNSかなにかで見かけた光景で、ホームレスの男性が飼っているネズミに、芸を仕込んでいたんです。見事なぐらい芸達者なネズミたちとホームレスの男性の間にはしっかりと絆を感じました。その姿がなんとも微笑ましくて、そして少し胸に刺さるようでもあって。あと、イギリスではホームレスの人が犬を連れている姿をよく見かけますが、福祉関係者が施設に連れて行こうとすると「この子と離れるくらいなら、外で一緒に寝る」と言う人も多いそうです。どんな立場でも、どんな環境でも、人はきっと「つながっていたい」って思っているんですよね。それは言葉を交わすことだけじゃなくて、ただそこに“存在してくれている”ってことが、大きな支えになる。ひとりで過ごす力を持っている人たちでも、『ALONE』の参加者みたいに、最後にギブアップのきっかけになるのは、孤独だったりする。じつは孤独って、気にしていないときも、いつもそばにあって、何かの拍子にふいに襲いかかってくるような気がします。何度もそんな思いを体験しました。でも、となりにぬくもりや気配がなにかしらあるだけで、生きるのがほんの少し楽になる。そんなことを、福の寝息や、あの雨の日の桜や、ネズミの芸や、いろんな場面がバラバラとつながるようにして、思い出しました。
そうそう、動物パートナーの死について猫沢さんが「『親が死ぬよりも哀しかった』という声はタブーのようでありつつ、実は多く聞かれる声でもあり、長く考え続けているテーマのひとつです」と書かれていましたね。本当に全くその通りだと思います。こうしてそばで寄り添ってくれる存在はまさにパートナー。場合によっては人間を超えるパートナーシップを築ける存在です。
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先日、映画監督で作家の山田あかねさんの最新作『犬と戦争 ウクライナで私が見たこと』の上映後トークイベントに、光栄にも登壇させていただく機会がありました。映画は山田監督が、ウクライナとロシアの戦闘の最前線にまで足を運びそこで犬を救う人たちに密着したドキュメンタリーです。人間の争いに巻き込まれてしまった犬たちを、命をかけて守ろうとする人たちの姿にただただ心を打たれました。同時にこんな思いも込み上げてきました。犬たちには国境も言葉もない。ウクライナの犬もロシアの犬も等しく救われるべき存在。でもそれが人間になるとどうしてこうも線引きが行われてしまうのか。頭の中で何度も考えがぐるぐる回り、気づけば混乱していました。トークイベントでもお話ししたのですが、犬(もちろん猫も)は言葉を持たない存在だからこそ、こちら側は相手の「意図」を必死に読み取ろうとするし、たとえそこに完璧な理解がなくともそれを許容するのではないかと。人間同士は言葉という便利な道具を持ってしまったせいで、その言葉がかえって壁になってしまうことがあるような気がするんです。人種の壁、国家の壁、宗教の壁、思想の壁……。言葉があるぶん、分かり合えない理由をこしらえるのもまた、人間なのかもしれません。そんなものを介さない動物とのパートナーシップはもはや愛だけでつながっていると言ってもいい。だからこそ、失ったときの喪失感は大きいに決まっています。僕はまだそんな別れは未経験。ときどき来るべきその日を想像して動悸が速くなるのです。
孤独について、喪失について、そして再生について。答えが出ないままきっと僕も考えつづけるんだと思います。つーかこの連載のせいで考えさせられてますよね。修行か(笑)。でも、それでいいんじゃないかな、という気もしてきています。今年、あの桜を見て感じたように、毎年同じ場所に立って、同じような風景を見ていても、そこにいる自分は、少しずつ変わっている。日々、いろいろあるけれど、それでも僕は、誰かの寝息や、となりにある気配に支えられながら、今日も生きているんだなあと、しみじみ思います。
猫沢さんは、これまでにたくさんの別れや出会いを経験されてきたと思いますが、そうした“別れ”のあとで、ふと自分が変わったなと思った瞬間はありますか? また、エミさんにとって「孤独」とは、どんな存在ですか? それは敵なのか、友なのか、それとも、もう少し曖昧なものなのでしょうか。
あともうひとつ、パリで暮らしていて、「これは日本とは違うな」と感じる“孤独のかたち”って、ありますか? よく猫沢さんも言ってますが「パリは個人主義」。でも一方でファミリーのことをことさら大切にする人たちでもあると。僕は日本人よりも孤独と付き合うのが上手な人たちのように勝手にイメージしています。よかったら次のお手紙で教えてください。
さて、今夜の信州はまたぐっと冷えてきました。テントの外では雨が降り続いていて、ライトの光がぼんやり滲んでいます。手紙を書くのに夢中になっていたら、すっかり紅茶も冷めてしまいました。そうそう、この紅茶、こないだ銀座で買ったんですが、日本の檜でスモークした燻製の香りがするお茶なんです。甘い茶菓子と一緒にいただくともう絶品で!今度、猫沢さんが日本に帰ってきたとき、ご馳走しますね。
おや? なにやら山の中に獣の気配を感じたようで、寝ていたはずの福の耳がすっと立って、低く唸っています。僕がどんなに耳を澄ませても、目を凝らしても見えない世界線で福は生きています。同じ世界にいるのに、いないみたいな。生きていたって、死んだって同じ世界にいるわけじゃあない気もします。
僕は僕の世界線でもう少しだけ、何かを書いてみようかなと思っています。ではまた。
小林孝延

追伸:雨の日はテントの中で本を読んだり、原稿書いたり、居眠りしたり。こうして停滞する時間もまたよいんですよ。都会にいるとすべては予定通り行うことが前提になるけれど、ここでは予定通りにいかないことがあたりまえ。天気やら動物やら、いろんな都合にこちらが合わせるのです。
次回、猫沢エミさんからの返信は6/28(土)公開予定です。
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