2022.5.25
鏡の中の老女とおばあさん問題
大学に入ったとき、私よりも小柄な女子学生で、とても姿勢がいい人がいて、彼女を見るたびに、姿勢がいいのは気持ちがいいもの、というのはよくわかった。彼女も
「背が低いのだから、姿勢が悪いと余計に背が低く見える」
といわれ続けたのかもしれない。どちらにせよ背筋が伸びている状態を続けられるのは、すごいなあと感心していた。もちろん私は彼女のようにはならなかった。若い頃は都心に買い物に行くと、店舗のガラスに姿が映るので、それで姿勢をチェックしていて、背中が丸まっているとわかると、突然背筋を伸ばしたりした。それをたまたま見かけた人は、いったい何をしているのかと思っただろう。それから歳を重ね、自分の進行方向にある、ガラス製の扉などに、ある女性の姿が映っていて、それを見て、「あら、あの人、ずいぶん歩き方がひどいわね」「もっさりした人がいるなあ」と思いながら近づいていったら、それが自分だったりして、ぎょっとしたことも一度や二度ではない。動いている自分の姿は、録画でもしない限り自分ではわからない。他人の姿にあれこれいう前に、自分を何とかしろと反省した。
ただ三味線を習っているときは、私の人生のなかでいちばん姿勢がよかったと思う。三味線は正座をすると、前屈みでは弾けないし、現にそのときは、自覚はないのに、何人もの人に、
「姿勢がいいですね」
といわれた。特に意識しなくても、体のバランスの取り方が、そうなっていたのだろう。その話を師匠にしたら、
「たしかに前屈みでは弾けないけれど、高齢のお師匠さんのなかには、体を斜めにして弾いている方もいらっしゃるしねえ。三味線だけが姿勢がいい原因ではないんじゃないかしら」
と首を傾げていた。若い頃からの習慣も、加齢には勝てないのかもしれない。
机の前での仕事は、どうしても前屈みになってしまう。パソコンを使うようになってからは、少しはましになったけれども、手書きのときはひどいものだった。仕事に熱が入ると、顔と原稿用紙との距離は近づく一方で、それにはっと気がついて、立ち上がって運動したりはしたが、その程度では丸まりつつある背中は、まっすぐにはならなかったのだ。