よみタイ

鏡の中の老女とおばあさん問題

 大学に入ったとき、私よりも小柄な女子学生で、とても姿勢がいい人がいて、彼女を見るたびに、姿勢がいいのは気持ちがいいもの、というのはよくわかった。彼女も
「背が低いのだから、姿勢が悪いと余計に背が低く見える」
 といわれ続けたのかもしれない。どちらにせよ背筋が伸びている状態を続けられるのは、すごいなあと感心していた。もちろん私は彼女のようにはならなかった。若い頃は都心に買い物に行くと、店舗のガラスに姿が映るので、それで姿勢をチェックしていて、背中が丸まっているとわかると、突然背筋を伸ばしたりした。それをたまたま見かけた人は、いったい何をしているのかと思っただろう。それから歳を重ね、自分の進行方向にある、ガラス製の扉などに、ある女性の姿が映っていて、それを見て、「あら、あの人、ずいぶん歩き方がひどいわね」「もっさりした人がいるなあ」と思いながら近づいていったら、それが自分だったりして、ぎょっとしたことも一度や二度ではない。動いている自分の姿は、録画でもしない限り自分ではわからない。他人の姿にあれこれいう前に、自分を何とかしろと反省した。
 ただ三味線を習っているときは、私の人生のなかでいちばん姿勢がよかったと思う。三味線は正座をすると、前屈みでは弾けないし、現にそのときは、自覚はないのに、何人もの人に、
「姿勢がいいですね」
 といわれた。特に意識しなくても、体のバランスの取り方が、そうなっていたのだろう。その話を師匠にしたら、
「たしかに前屈みでは弾けないけれど、高齢のお師匠さんのなかには、体を斜めにして弾いている方もいらっしゃるしねえ。三味線だけが姿勢がいい原因ではないんじゃないかしら」
 と首を傾げていた。若い頃からの習慣も、加齢には勝てないのかもしれない。
 机の前での仕事は、どうしても前屈みになってしまう。パソコンを使うようになってからは、少しはましになったけれども、手書きのときはひどいものだった。仕事に熱が入ると、顔と原稿用紙との距離は近づく一方で、それにはっと気がついて、立ち上がって運動したりはしたが、その程度では丸まりつつある背中は、まっすぐにはならなかったのだ。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『散歩するネコ れんげ荘物語』『今日はいい天気ですね。れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『これで暮らす』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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