2023.6.22
神秘、自由、孤独や幻想…時代とともに移り変わる闇と夜の描かれ方 第9回 絵画の中の夜
聖書の中で夜を場面とする出来事のひとつが、キリストの降誕である。しかし、中世やルネサンス期の降誕図には、真昼や黄昏を背景にしたものも多い。だからこそ、初期ネーデルラントの画家ヘールトヘン・トット・シント・ヤンスの〈キリスト降誕〉(一四八〇―九〇年頃)は、ひと際目を捉えて離さないのだろう。この絵画には、記号的ではない本物の夜の闇が広がっている。黒い天鵞絨めいた闇に沈む馬小屋で、飼い葉桶に横たわる幼子キリストから柔らかな黄金の光が溢れ出す。その光は、白いヴェールに包まれた聖母マリアの顔や祈るように組まれた手、跪く小さな天使たちの姿を明るく照らしている。加えて、飼い葉桶を覗き込む牛と驢馬、聖母の背後に佇むヨセフの姿も暗闇にうっすらと浮かび上がっていた。この誕生の場面の背後、馬小屋の外に広がる丘陵にも二つの光源が見えるだろう。一つは空に浮かんだ白い輝きをまとう天使。キリストの降誕を告げに現れた神の使いは、驚き見上げる羊飼いたちや羊の群れ、牧羊犬を照らし、透き通るように夜の中際立っている。そして、もう一つは小さな焚火。羊飼いたちが寝ずの番のために燃やすそれは、石榴粒めいた赤い光を小さく煌めかせる。
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この絵には、月や星の明かりといった自然光が描かれていない。幼子イエスと天使のまとう光、焚火がなければ、この場面は暗闇にのみ込まれてしまうだろう。そのために、この神秘の光が美しく、より聖なるものと目に映るのだ。同じく、神秘の光に満ちた夜の降誕図として挙げられるのが、コレッジョの〈羊飼いの礼拝〉(一五二九―三〇年)である。別名〈夜〉と呼ばれるこの作品は、黄昏の淡い光を残した夜の情景を扱っている。しかし、影に沈む風景の奥、空の残光は山の稜線を縁取るが、馬小屋の中を照らすには至らない。光源となるのは、画面中央の聖母子だ。柔らかな表情を湛えた聖母と、その腕の中の幼子キリストが、甘やかに温かい黄金の光に包まれ、降誕の知らせを受け駆けつけた羊飼いたちと、その畏怖に打たれた様子、雲に乗る天使の集団、奥で驢馬を引くヨセフを照らし出す。コレッジョの作品に見られる聖なる光は蝋燭の灯りに似ており、自然な形で舞台を包み込んでいた。背景の黄昏とグラデーションをなすこの光の表現は、シント・ヤンスの光と深い闇のコントラストとは異なるものであろう。
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