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斬首、殴打…彼女たちはなぜこのような行為に出たか 第8回 ファム・ファタル(宿命の女)というレッテルを貼られた女性たち

 それに対し、ルーカス・クラーナハ(父)の〈ヘラクレスとオンファレ〉(一五三七年)で、英雄は美しい女性たちのなすがままになっている。三人の愛らしい侍女の手で、ヘラクレスは白いブラウスに黒いドレス、首飾りで飾り立てられ、今や白いショールで頭を包み込まれようとしていた。橙色の装いの侍女は悪戯っぽく笑みつつ、右手で白い糸をつまんで英雄に糸紡ぎの手本を見せているのだろう。紡錘を手にするヘラクレスは、背後に佇む女性に懇願の眼差しを向ける。羽根のついた真紅の帽子に黄金の首飾り、深緑色のドレス姿の女王オンファレは(1)、英雄を見やることなく、冷たく人形のように微笑むばかりだ。こうして糸紡ぎを押し付けられたヘラクレスに、英雄の威厳は残されておらず、困惑した面持ちのまま弄ばれるだけだ。背景に書かれたラテン語の四行詩が(2)、この状況を以下のように説明している。「リュディアの乙女たちはヘラクレスに糸紡ぎの仕事を与え、ヘラクレスは女主人になすがままとなるのを耐え忍ぶ。この堕落しきった肉欲に、偉大な人物の精神は虜となり、か弱き愛に高潔な人物も骨抜きになってしまった」。ここで描かれているのは、男女の役割交換ではなく、ヘラクレスを虜にした恋愛遊戯のようなものなのだ。壁に掛かったやまうずら(3)は、狩猟の獲物を表すと同時に、ヘラクレスもまたこの状況では獲物であると示唆している。

ルーカス・クラーナハ(父) 〈ヘラクレスとオンファレ〉1537年 ドイツ、ブラウンシュヴァイク〔アントン・ウルリッヒ侯爵博物館〕
ルーカス・クラーナハ(父) 〈ヘラクレスとオンファレ〉1537年 ドイツ、ブラウンシュヴァイク〔アントン・ウルリッヒ侯爵博物館〕
〈ヘラクレスとオンファレ〉(1)女王オンファレ(2)ラテン語の四行詩(3)壁に掛かった山鶉
〈ヘラクレスとオンファレ〉(1)女王オンファレ(2)ラテン語の四行詩(3)壁に掛かった山鶉

 同様に、聖書にも女性の悪しきイメージが見いだされる。その原型となったのは、旧約聖書の創世記に登場するエヴァであった。人類最初の女性は、蛇の姿をした悪魔の誘惑に負け、アダムと共に知恵の樹の実(林檎)を口にして、楽園追放という取り返しのつかない結果をもたらしたのである。エデンの園で知恵の樹を間にはさみ、その実をアダムに差し出すエヴァ。この典型的な構図とは別に、原罪の原因がエヴァにあることを強調するかのように、独特の表現が生み出されていった。
 例えば、十五世紀ネーデルラントの画家ヒューホ・ファン・デル・フースは、二連祭壇画の左翼部分〈原罪〉(一四七九年以降)において、画面の中心にエヴァを配置している。開けた風景の中、エヴァは半ば身をねじって、背後の知恵の樹に生る果実に手を伸ばす。一方、アダムはその傍に、棒のように不自然に強張った姿勢で佇んでいる。ぼんやりとろんな目つきとその姿勢のため、彼には意思が感じられず、エヴァの決定に従う人形めいた雰囲気があるだろう。奇妙なのが、エヴァを誘惑する蛇の描写だ。悪魔の化身である蛇は、男性形と聖書では記述されているが、絵の中で樹の幹に前脚をかけて立つその姿には、女性の頭部が備わっている。しかし、頭部もしくは上半身が女性の姿をとる蛇は、同時代の時禱書の挿絵にもよく見られる。蛇を女性として描くことで、エヴァと蛇は誘惑者として同一視され、同時にエヴァの悪魔性が強調されるのだ。

ヒューホ・ファン・デル・フース〈原罪〉1470年頃 オーストリア、ウィーン〔美術史美術館〕
ヒューホ・ファン・デル・フース〈原罪〉1470年頃 オーストリア、ウィーン〔美術史美術館〕

 エヴァの誘惑がもたらしたのは、人間の堕落だけではない。死という運命もそうなのだ。それを視覚的に示唆するかのように、十六世紀ドイツで活動したゼーバルト・ベーハムの版画〈アダムとエヴァ〉(一五四三年)では、知恵の樹そのものが骸骨の姿をとっている。脚や背骨の一部は幹に、両腕は枝となって、樹木と一体化しているのだ。そこに絡みつく蛇が林檎をくわえ、アダムとエヴァの手がそれを支えている。しかし、死の化身である髑髏どくろが注視するのはエヴァなのだ。死との関係をさらに推し進めたのが、ハンス・バルドゥング・グリーンの〈エヴァ、死、蛇〉(一五一〇―一五年)だろう。一般的なエヴァの図像とは異なり、この作品で彼女は恥部を隠そうとせず、林檎を差し出すことなく、背後に隠し持っている。その手は、知恵の樹に巻きつく蛇の尾に触れる一方で、樹の陰から現れた男に固く掴まれているのだった。皮膚が剥がれ、肉や骨を露わにしたその姿は、伝統的な死の擬人像である。同時に、林檎を手に掲げているため、死はこの絵の中でアダムの役割も担っていることが明らかだ。死はエヴァを虜にしつつ、アダムはエヴァに誘惑される。やがてアダムの肉体は、死そのものと同じ姿をとる。「メメント・モリ(死を忘るることなかれ)」の主題では、死が勝利者として描かれるが、ここにもその伝統が引き継がれているのだ。それと同時に、エヴァが死を誘惑し、破滅を導いた張本人であるということも示している。

ゼーバルト・ベーハム 〈アダムとエヴァ〉1543年 スイス、バーゼル〔市立美術館、版画素描室〕
ゼーバルト・ベーハム 〈アダムとエヴァ〉1543年 スイス、バーゼル〔市立美術館、版画素描室〕
ハンス・バルドゥング・グリーン 〈エヴァ、死、蛇〉1520-30年 カナダ、オタワ〔カナダ・ナショナル・ギャラリー〕
ハンス・バルドゥング・グリーン 〈エヴァ、死、蛇〉1520-30年 カナダ、オタワ〔カナダ・ナショナル・ギャラリー〕
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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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