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姿の数だけ信仰のスタイルがある。第5回 聖母とマグダラのマリアの描かれ方

ラ・トゥールが描く、最も静謐で美しいマグダラのマリア

 そして、最も静謐で美しいマグダラのマリアを描いたのが、十七世紀フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールであった。彼の〈二つの炎のあるマグダラのマリア(悔悛かいしゅんするマグダラのマリア)〉(一六四〇年頃)は、この聖女にまつわる出来事よりも、その精神性を深く切り取ってみせた絵画だ。マグダラのマリアはひとり陰影に包まれた室内に居る。夜の情景を表すその中では、鏡の前に置かれた蝋燭が静かな光源となっている。その前に腰を下ろす聖女は白くゆったりとしたブラウスに赤のスカートをまとい、膝に載せた髑髏どくろの上で両手を組み合わせている。しかし、その顔は見えない。観る者から背けられ、虚空を見つめているのがわずかに分かるだけだ。暗い水面のような鏡もまた、瞑想する聖女ではなく、長い蝋燭の炎だけを映し出している。「夜の画家」と呼ばれるラ・トゥールは、マグダラのマリアを主題とする作品を五点制作した。そのいずれもが暗い夜の室内を場面とした、この聖女の悔悛という主題を扱ったものである。

ジョルジュ・ラ・トゥール〈二つの炎のあるマグダラのマリア(悔悛するマグダラのマリア)〉1640年頃 アメリカ、ニューヨーク[メトロポリタン美術館]
ジョルジュ・ラ・トゥール〈二つの炎のあるマグダラのマリア(悔悛するマグダラのマリア)〉1640年頃 アメリカ、ニューヨーク[メトロポリタン美術館]

「悔悛するマグダラのマリア」は、キリストの復活後、信仰の道を目指した聖女が、それまでの豪奢な生活を捨て、荒野で隠遁生活を送るという内容に基づいている。その際、場面は洞窟や荒野に置かれ、質素な衣をまとう聖女と共に、十字架や苦行用の鞭、書物や頭蓋骨が描かれてきた。そこに蠱惑こわく的な笑みを浮かべる優雅な姿はなく、赤く潤む目から涙があふれ、狂おしく天を仰ぐ様子が見られる。すべてを投げ打ち、苛烈なまでに信仰へと向かう姿。それを通して、観る者にもまた自戒を促すという役割を絵画は担っているが、一方では美的快楽を追い求めるために注文され、ほぼ裸体の官能的な作風の絵画の需要も高まっていた。ティツィアーノの〈悔悛するマグダラのマリア〉(一五三三年頃)もその一例だろう。殺伐とした荒野を背に聖女は一心に天を見上げているが、その裸を覆うのは長く豊かな金髪であり、髪の間から乳房が覗いている。篤い信仰と肉体的な美が一つの画面内にあって、宗教的法悦は身体的なものと見紛みまがうばかりだ。このような描き方のマグダラのマリア像は多い。
 それに対し、ラ・トゥール作品の聖女は劇的なしぐさを見せることはない。それどころか表情が隠されているために、より画面内の静けさと聖女の内面性が際立っているように思われる。となると、鏡が映し出す蝋燭の炎は、マグダラのマリアの内なる姿であるのかもしれない。さらに、この絵画は「ヴァニタス」の要素も備えている。鏡や蝋燭、髑髏は典型的なモチーフであり、かつて娼婦であったこの聖女が髑髏を抱えている姿は、現世的な享楽から身を引き離し、その虚しさから観想的な生に価値を置くことを表しているのだろう。それを強調するかのように、黄金の装飾的な鏡の前には真珠の宝飾品が置かれ、床の上にも装身具が転がっている。本来はこの女性の身を飾り、美しさを引き立てるはずのものが外されているのだ。これが示すのは、虚飾に満ち溢れた世俗との決別である。だからこそ、黄金の装飾のある鏡に、聖女は顔を映すことはない。代わりに鏡に映る蝋燭の炎は、信仰を宿したマグダラのマリアの魂という内なる肖像なのだ。そして、観る者もまた、暗闇の二つの炎に引き寄せられ、自らの内に深く潜む己の顔を探ることになるのだろう。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ〈悔悛するマグダラのマリア〉1533年頃 イタリア、フィレンツェ[パラスティーナ美術館]
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ〈悔悛するマグダラのマリア〉1533年頃 イタリア、フィレンツェ[パラスティーナ美術館]

 キリストの時間に取り込まれ、その死の場面で邂逅かいこうした二人の聖なるマリア。絵画に描かれてきた他の聖女たちは、キリスト教が確立した後の時代において信仰を見出し、やがては殉教という最後を迎えることになる。キリストと相まみえることがあっても、それは幻視や顕現という奇跡の中である。しかし、聖母とマグダラのマリアは同じ時間に在り、そしてキリストの誕生前も死後にも、自らの時間を生き続けた女性たちでもあった。
 コルマールでの旅の中、〈イーゼンハイム祭壇画〉を見つめる旅の同伴者の顔を、私は結局のところ目にすることはなかった。描かれているものについて言葉を交わしたが、その形からにじみ出るものについては何も話さなかった。祭壇画の深い荒野の内に、思いも声ものみ込まれてしまったのかもしれない。置き去りにした声を確かめるように、彼女は去り際に中央パネルの方を振り返っていた。その姿勢が、ラ・トゥールの夜の中で顔を背ける聖女に重なる。観る者の目には映されることのない、おそらくは深く静謐な表情。美術館を出た後、再び彼女の軽やかながらも安定した風のような足取りを追いかける。そして、あの時、静かな街の一隅で目にした光景が今も記憶に刻まれている。青いコートをまとった女性が、眠る赤ん坊を抱きかかえていた。その隣で、長い金髪を背に垂らした女性は、穏やかに眠る様子をそっと覗き込む。彼女の手には、菓子箱なのか白い円筒形の箱が抱えられていた。 二人は赤子の眠りを壊さないよう静かに見守り、顔を上げて互いに目で微笑みを交わす。時間までもが足を止めた白昼の光景。その中に佇む二人の髪とコートの裾を、柔らかな風が小さく揺らしていた。

※1 人物名、絵画タイトルは『西洋美術の歴史 4ルネサンスⅠ』(中央公論新社/二〇一六年)『西洋美術の歴史 5ルネサンスⅡ』(中央公論新社/二〇一七年)を参考にしています。
※2 初期ネーデルランド絵画と初期フランドル絵画は、十五‐十六世紀のフランドル地方の画家たちによって制作された作品を表し、同じものを指しますが、文中では「初期ネーデルラント絵画」で統一しています。

編集協力/中嶋美保

次回は2月23日(木)公開予定です。

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新刊紹介

石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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