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酒井順子「言葉のあとさき」

「ね」には「ね」を

「ひさかたの」とか、「あをによし」といった枕詞というものが、平安時代前後の和歌には使用されている、と、学生時代の古典の時間に習いました。「ひさかたの」であれば光、空など、「あをによし」なら奈良と、掛かる言葉が決まっており、とはいえ枕詞はニュアンスを醸し出すだけでそれ自体には意味がない、と聞いた時に私は、「なぜ限られた文字しか使用できない和歌に、意味を持たない枕詞などを入れるのだろう」と思ったものでした。もっと意味のある他の言葉を入れて、さらに歌の密度を高めればいいのに、と。
 しかし和歌を眺めていると、さほど意味を持たない言葉は、枕詞だけでなく、そこここにちりばめられているのでした。表現したいことが三十一文字という「型」よりも小ぶりのサイズだと、何となくムードはあるけれど意味はない、エアーパッキンのような言葉を挟んでカサ増しする必要があるのです。
「そうですね」もまた、意味は薄いが、感じは悪くない言葉です。さらには「そうですね」は、「ひさかたの」や「あをによし」と同様の、五文字。七五調が身に染み付いている我々にとって、五文字の言葉をまず最初に言うことは、その後の言葉をスムーズに出すようにする助走のような効能をも持つ気がしてきました。
「そうですね」の、「ね」という最後の文字にも、注目したいところです。「そうです」と「そうですね」ではおおいに感じが違ってくるわけで、会話文において「ね」は重要な意味を持ちます。話の最後に「ね」をつけると、相手へ積極的に働きかけている感じが出るし、それも敵対的でなく友好的な、できればこちらの意見に共感してもらいたいんだけどなぁ、といった空気も伝わる。
 関西では、「ね」ではなく、「な」が使用されていることも多いようです。
「そら大変や」
 だと他人事ですが、
「そら大変やな」
 となると、相手に歩み寄る姿勢がそこに生まれます。「な」とか「ね」、地方によっては「の」など、主にな行の文字を会話の最後にくっつけると、「相手との距離を縮めよう」という意志が、立ち上がるのです。
「ね」は寂しがり屋なので、常に双方向性を欲してもいます。
「これ、おいしいね」
 と誰かが言った時に求められているのは、
「うん」
 ではなく、
「おいしい」
 でもなく、
「おいしいよね」
 という返答。「ね」には「ね」を返してほしいと期待して、発言主は「ね」を使用しているのです。
 共感を大切にする生き物とされる女性は、特に「ね」を多用する傾向にあるのでした。
「これ、おいしいね」
 と言われたならば、
「おいしいよね」
 と、「ね」返しするのは、当たり前。「おいしいね」だけでは足りず、
「おいしいね〜、本当にあのお店はすごいよね〜」
 などと「ね」を重ねていくことも珍しくはなく、そうなると相手がたもまた、
「ホント最高だよね〜、また買ってくるね」
 と、さらなる「ね」を返すわけで、「ね」の応酬は終わりを知りません。我々は「ね」をやりとりすることによって、「私はあなたの敵ではない」ということを伝え合い、そこに安全地帯を形成しているのです。
 また、
「本当に、コロナが早くおさまってほしいです」
 といった、誰もが同意するであろうことは「ね」なしで言われることもありますが、そんな時は話を聞いている人がすかさず、
「ね〜、そうですよね〜」
 と「ね」をいくつも相手に謹呈。他の誰かも、「その通り」との意で、
「ね〜」
 と言えば、最初の発言主も、
「ね〜」
 と同意を示すわけで、ほとんど「ね」だけで会話が成立するのです。  
このように「ね」は、相手の懐の中に飛び込むこともできれば、こちらの懐にやってきた誰かを庇護することもできる、便利な音。だからこそテレビショッピングの番組では、
「お客様ね、見て見てこのフライパン! こんなひどい焦げ付きもね、水を入れると浮いてきちゃう!」
 と、視聴者に向けて「ね」で呼びかけるのです。ワイドショーのコメンテーターにしても、「ね」を頻用する人は、今ひとつ自分の意見に自信がなく、他の人々の同調、同意を欲しがっている人のように見えるのでした。
 となると「そうですね」の「ね」から透けて見えるのは、アスリートの孤独のようなもの。たった一人で戦った直後にマイクを突きつけられた時、自分の真の姿を少しでも知ってもらうべく、インタビュアーとテレビを視聴している人々に対して歩み寄る精一杯の気持ちが、「そうですね」の「ね」には込められているのではないか。
目立たない言葉ながら、実は様々な意味が含まれているのかもしれない「そうですね」。オリンピック期間中、大量の「そうですね」を浴びていたら、どうやらこの言葉は非常に強い伝播力を持っている模様であり、自分も何かのインタビューに答える時、
「そうですね」
 と、無意識で冒頭に言っていました。確かに「えーと」「あのー」よりは気分がしゃっきりするかもしれず、これからも反射的に、「そうですね」を繰り出しそうな気がしてなりません。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『処女の道程』『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』など多数。

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