よみタイ

酒井順子「言葉のあとさき」

「個人的な意見」という免罪符

 京都の人がしばしば口にする言葉の中で印象的なのは、
「よう知らんけど」
 というものです。普段のテンションよりも少しでも高めで話したような時は、必ずと言っていいほど最後に言い添えられるのが、「よう知らんけど」なのです。
 たとえばお受験ママ達の会話であれば、
「あそこの学校はな、今年は入試の日が変わって倍率が下がりそうやから、受けておいた方がええよ。……よう知らんけど」
 という感じ。はたまた若い女性同士の恋バナの時であれば、
「仕事が忙しいから会えへんっていうのは、それほど好きと違うってことやないの? ……よう知らんけど」
 となる。
 相手が言うことを言葉通りにとる傾向がある関東人からすると、「よう知らんけど」に初めて接した時は、「知ってるの? 知らないの? どっちなの?」と思ったものです。しかしこの言葉が示すのは、本当に知っているか否かといった問題ではない。「私ったら、この問題に関して十分な知識を持っているわけでもないのにこんな話をしてしまって」という謙遜と含羞。「よく知らずに話しているので、この発言の責任は持ちかねます」という責任回避アピール。そして、テレビショッピングに出てくる「個人の感想です」的な、「あくまで私の意見ですので、これが絶対というわけではありません」という言い訳。……といった様々なニュアンスを含む、実に都会的なフレーズなのです。
「よう知らんけど」を聞いて、
「知ってるの? 知らないの?」
 などと表面的な意味にオロオロするのは、まさにアズマエビスの感覚。みやこ人であれば、「よう知らんけど」が、ボクサーにとってのガードのような役割を果たしていることは織り込み済みです。
「よう知らんけど」は、語り手が知識を披露したり、経験に基づくアドバイスをする時にも、使用されます。その時、「偉そう」とか「自慢げ」といった雰囲気を醸し出してしまわないように、最後に臭み消しの役割を担って、「よう知らんけど」は登場する。
 他人の悪口や噂話をする時にも、この言葉は便利です。
「あの人な、前に同じマンションに住んでる人妻と不倫してはって、駐車場でチューしてる時に奥さんに見られて大騒ぎだったんやて。……よう知らんけど」
 というように、噂や悪口を語るという行為から漂う臭みをも、消してくれるのです。
「よう知らんけど」の便利さは、後付けできるところにあります。「……かも」「……ような」「……たり」「……みたいな」「……らしい」等々、「はっきりと言い切ってませんよ」と主張するための言葉が日本語にはたくさん用意されていますが、その手の言葉を一切使用せず、
「○○って、××なんやデ!」
 と思い切り断言しても、
「よう知らんけど」
 を最後につければ、安全地帯へすーっと入ることができるのですから。
 最後につけ加えるだけで、「言い切り」という大罪から免れることができる、「よう知らんけど」。誰しも時には意見や自慢や悪口を思うがままに語りたい時はあるわけで、さんざ語ってストレスを発散した後にちょろっと添えれば免罪符と化すこの言葉は、千年の歴史の中で編み出されてきたのでしょう。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『処女の道程』『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』など多数。

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