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酒井順子「言葉のあとさき」

「黒人の人」と「白人」と

 今、日本では八百屋、魚屋といった「◯◯屋」という言い方も、放送禁止用語的に捉えられています。それぞれ青果店、鮮魚店など「◯◯店」と言い替えられがちなのです。
 しかし「八百屋さん」「魚屋さん」と「さん」をつけて言うと、必ずしも使用NGというわけではないという敬称マジックが、ここでも発揮されるのでした。会話においても、
「八百屋でトマト買ってきて」
 と言うとすさまじく聞こえますが、
「八百屋さんでトマト買ってきて」
 と言えば、微笑ほほえましい感じに……。
「◯◯屋」は、自称としては広く流通しています。たまに私が配達を頼む青果店のお兄さんも、
「ちわーっ、八百屋でーす」
 と、我が家にやってくる。しかしそこで私がもし、
「あっ、八百屋が来た!」
 と言ったらやはり相当すさまじいわけで、他人が言う場合は「さん」づけがマスト。
 このように、生活を円滑に回すために欠かすことのできない敬称に関する複雑で繊細なルールは、日本で生きていく中で、我々が自然と体得していくものです。企業名や店名、食品名から挨拶の言葉にまで「さん」をつける感覚は、外人さん、じゃなくて外国人にはきっとわかるまい。
 自分に染み付いている敬称テクから改めて理解できるのは、我々は贈答品であれ言葉であれ、とにかくラッピングがしたくてたまらない国民だということなのでした。「外人さん」という言葉が流通していた時代、日本人は家のテレビにも電話にもカバーをかけて大切に扱っていたし、今となってもカバーとかケースが好きな人は多い。そして日本女性達の多くは、自分達の顔をファンデーションで覆わずにはいられません。何も施さず「素のまま」でいることに罪悪感を覚える気質を、我々は持っているのです。
 そのうち我々は、「黒人」と言うことの罪悪感に悩んだ末に、「黒人さん」と言い始めるのかもしれません。それはそれで悪くないかも、と思うものの、しかし我々は「黒人の人」であれ「黒人さん」であれ、言葉にラッピングを施して満足することには、気をつけなくてはいけないのでしょう。私達が愛好するラッピングは、表向きは「相手のためを思って」の行為であっても、その背後に「本質を覆い隠したい」という欲求が、しばしば控えているのだから。
 敬称文化にどっぷり浸かって生きる中で我々は、敬称さえ使用しておけば、問題の本質を見ぬフリができるという感覚に慣れっこになっています。つまり、差別用語さえ使用しなければ差別していない、という気になりがち。
 しかし、ラッピングはあくまで表面だけのことであり、問題の本質を解決するものではありません。確かに差別用語は使用しない方がよいものですが、差別的ではないとされる言葉は、「臭いものにフタ」の機能を持っている場合も、多々あるのだから。
 何かと覆いたくなる我々にとって、敬称・美称は危険な道具。それらの言葉を使用しても、時にフタを開けて、自分の中に沈殿している「臭いもの」の臭気をしっかり確かめることを忘れないようにしたいと思います。 

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』など多数。

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