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加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

足袋(四)

 ――近所に陰気な路地がある。
 家から自宅までの経路は何通りか存在する。路地はその中で私が一番、頻繁に使う道筋にある。
 避けようと思えば可能なのだが、道筋自体は気に入っている。
 車が少なく、緑も多く、猫の姿も結構ある。
 ただ、件の路地から線路に抜けるまでの間が暗い。そこを通るときは気がつくと、いつも緊張している自分がいる。
 多分、道沿いに廃工場を見るのが嫌なのだろう。
 灰色のトタンで囲われた工場は、町工場というには大きい。けれども、この道を知って以来、人がいるのを見たことはない。
 どれほど放置されたままなのか。
 工場の一階は、一部がくり抜かれたような形の駐車場になっている。
 車が三台ほどは入るだろうか。三方を壁で囲まれた空間は、昼日中でも薄暗く、打ちっ放しのコンクリートの床はひび割れている。
 そこから顔を出す雑草も、うらぶれた感じを醸し出していた。
 駐車場奥には、白く塗られた扉がある。通用口と覚しいが、これも、開いているのを見たことはない。
 私はそこを通るたび、いつもその扉を見、いつも慌てて視線を逸らす。
 どうして、そこに視線が行くのか。
 理由は努めて考えない。
 ろくなことにならない気がしていたからだ。
 そんなある日。ある晩のこと、私はその路地を通って家に向かった。
 夜は普段、幹線道路を使うのだけど、その時は敢えて道を違えたのだ。
 何日か前に、幹線道路で死亡事故があったらしい。
 私はその事故を知らなかったが、道の先にはたくさんの花束が供えてあった。
 死者を悼む気持ちに罪はない。
 しかし、私はその花束の隙間からナニカが覗いている気がして、手前を曲がって路地に入った。
 死者のための花束は、死者をそこに留めることにもなるのだろうか……。
 人気ひとけのない路地を辿りつつ、私はそんなことを考えながら、いくつかの角を曲がった。
 そうして、ふと横を見たとき、廃工場の駐車場が目に入った。
 通用口に視線が向いた。
 いつもなら目を逸らして行き過ぎるのだが、その時、私は足を止めた。
 違和感があった。
 明かりもない駐車場は、ほぼ闇に包まれている。
 その奥にうっすらと白い扉が浮かんでいる。
 いや、形が違う。宙に白い座布団が、浮いているかのようだ。
 なんだあれは、と思った瞬間、正体が明らかになった。
(お太鼓を結んだ帯だ、あれは)
 和服を着た女が背中を見せて、通用口の前に立っている。
 着物は黒い。帯は白い。喪服ではないが、喪服に見える。
 肩から上は、闇に溶けているかのごとくだ。
 生身の人間でないことは、見た瞬間からわかっていた。すぐに立ち去るべきだというのも理解していた。
 けれども、足は動かない。
 私はつくづくと背中を見つめた。
 黒い着物は重たい縮緬ちりめんのようだった。
 白い帯は柄もなく、なぜか少し汚れて見えた。
 私は女が白い足袋を履き、足袋裸足でいるのも知った。
 その爪先が奇妙だった。
 体は背中を見せているのに、足先が、足先だけが、私の方を向いている。
(普通の幽霊じゃない)
 もっと、魔に近いナニカだ。
 闇に溶けていたはずの首がぼんやり見えた気がした。
 ほつれ毛が衿に掛かっている。
 その首はこちらを見ているのか、後ろを向いたままなのか……。
 弾かれたように、私は逃げた。
 暗い路地を本気で走って、角をいくつも曲がり、小さな公園に飛び込んで、憑いてくる気配の有無を探った。
 女は憑いてこなかった。
 私はそのまま家に戻らず、暫くコンビニをはしごして、気を落ち着けてから自宅に戻った。
 事故の花束に刺激され、神経が過敏になっていたのか。
 それとも、たまたまそういうモノを見てしまう夜だったのか。
 ――異形の幽霊。
 いずれにしても、そんなモノもまた足袋は白い。
 彼らはその足元に、どんな意味を込めているのだろう。

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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