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内閣の「孤独・孤立対策」は若年性孤独者たちに届くか 第9回 現代の隠遁者たちの見えない本音

 同様の現象は、様々な場所で見られるようです。たとえば教育現場においては、学校に行きたくない人は無理して行かなくてもいい、という選択も支持されるようになっています。小中学校の不登校児童生徒の数は元々増加傾向にあったところ、コロナ時代となってさらに激増し、過去最多に。
 子供達だけではありません。今や会社員であっても、“出社拒否”という状況になる若手が、珍しくないのだそう。ブラックな職場というわけでなくても、「どうしても行けません」ということになり、親や上司といった大人達も無理強いすることができずに、出社拒否状態が続いていく。
 学校で勉強することも、職場で働くことも、そして結婚を目指すための恋愛や婚活といった諸活動も、全ては他人と交わる行為であり、そこには多かれ少なかれ、人間関係のストレスが発生します。そのストレスがつらいと悩む若者に対して、昔は周囲の大人が、
「何を甘いことを言ってんだ」
 と、尻を叩いて無理に前進させたわけですが、今は尻を叩くなどという乱暴な行為は厳禁。大人達は、
「無理はしないで。あなたはあなたのままでいい」
 と、言ってくれるのです。
 子供が少なくなり、若者が希少であるからこそ、時代はどんどん優しくなっているのですが、その優しさに包まれながら発生するのが、こういった“若年性孤独”の問題なのではないかと私は思います。
 それは、定年退職後のおじいさんの孤独とか、配偶者と死に別れたおばあさんの孤独とは異なるタイプの孤独です。身体はピンピンして体力も有り余っている若者達は、しかし人と交わることのストレスに容易に跳ね返され、「非・孤独」の道を歩むことを早いうちから諦めるのです。
 学校に行かないことを選択した子供達は、無理に登校する必要がなくなって、ほっとすることでしょう。職場がつらくて引きこもり状態になった人も、「一人」というノーストレスの状態で過ごすことによって、開放感を得るに違いない。はたまた、昔なら「負け犬」と言われた年頃の人が、負け感など感じずに過ごすのも、悪いことではないのです。
 しかしそんな若い人々は、それが自分で選んだ孤独であるが故に、「孤独がつらい」と表明しづらくなっているのではないかとも思うのでした。
 たとえば私と同世代の人は、結婚がしたいのにできないという状況下で多くの人が焦燥感を抱き、もがいていました。すると誰かが同情してくれたり、「いい人を紹介しよう」と手を差し伸べてくれたりしたもの。
 対して今は、
「結婚をしなくても、それは一つの選択なのだから、今の人は焦ることも、もがくこともしないのでしょうね」
 と周囲から見られ、「だったらそっとしておこう」と、誰も手を差し伸べません。
 しかし本当は、「結婚したいのに、できない。婚活もうまくいかないし……」という悩みを誰とも共有できないことがまた孤独、という人もいるのではないか。そしてその手の人は、かつての我々のように、キャンキャンと遠吠えもできずにいる。
 ……というような考えを世間では「老婆心」と言うわけですが、しかし学校や職場といった、人間関係のるつぼのストレスに耐えられず一人でいることにした若者についても、同じことが言えるように思えます。一人でいることを自分で選択したわけだし、本人が何か言ってくるまでは何もできないよね、と周囲は思いがちなのです。

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新刊紹介

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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