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「差」はあってはいけないものか 第1回 「違い」と「差」のちがいって?

 ちなみに「品格」という言葉における「格」だけでなく、「品」もまた、上下差用語なのでした。「信濃しなの」「更科さらしな」といった語にも見られる「シナ」はそもそも地形を示す語であり、まさに高低差のことを表していたのだそう。それが、序列や階層や差といった、人間同士の間の上下差についても言い表す「品」となったのです。
 古典において「品品し」といったら、上品とか品が良いという意味ですし、「品くだる」はもちろん「下品」の意。そんなことを考えると、「品格」がいかに上下差というものに意識的な言葉かがわかろうというもの。経済的上下差で人を測ることは否定しても、人間の根本的な部分の価値で、他者を「上か、下か」で見ることを奨励しているのが、品格本の数々と言っていいのではないか。
 この手の動きは、二〇〇〇年代の特徴かと思われます。二〇〇三(平成一五)年に刊行された養老孟司ようろうたけし氏の『バカの壁』は、戦後日本のベストセラーランキング四位という空前の売り上げを叩き出しました。これは、「バカ」について書かれた本というよりは「壁」について書かれた本なのですが、多くの人はこの点を誤解。何となく、バカをバカにしている本なのではないかと思い込んだのであり、その後はバカのバカっぷりをあげつらうという「バカ本」のブームが到来します。
 バカという言葉は、知能や知識の面で、程度が低い人を揶揄・罵倒する時に使用される、上下差用語です。誰かに「バカ」と言うということは、相手を下に見ることになるのです(林家木久蔵(現・おう)師匠の「いやんばか〜ん」的な昭和艶笑ソングにおける「バカ」の用法は除く)。
「バカ」と名のついた本がバカ売れしたことは、本の内容はどうあれ、日本人にいくばくかの刺激を与えたのではないかと私は思います。
「バカって言っていいんだ!」
 とばかりに、長引く不景気の中でフラストレーションを溜めた日本人は、他人を下に見てはちょっとした快感を得るように。「バカ」だけではなく、様々な少数派や異端の人々が、その標的となったのです。
 一億総中流という時代が終わったらしい二〇〇〇年代は、このように日本人が上下の差というものに意識的になった時代でした。経済的な部分で自信を持つことができないとなったら、他の部分で誰かを下に見るしかない。……ということで、ストレスを発散するための娯楽の一種かのように、他人を下に見るという行為が広まっていったのではないか。
 しかし二〇一〇年代になると、そのような流れにあらがう動きが出てきます。自分より「下」を見つけることでウサを晴らすのではなく、上か下かという考えをやめようではないか、と考える人々が登場してきたのです。
 最もわかりやすい例は、女性差別の問題でしょう。いつの時代も、女性差別に反対する動きはあるものの、その声が無視されがちな時代と、急激に進む時代があるものです。が、二〇一〇年代半ばから現代に至るまでは、世界的に女性差別に対する反発の声が強まり続けています。
 女も男も同じ人間で、どちらが偉いわけではない。家庭でもどちらかがイニシアティブを持つのではなく、チームとして共に家庭を運営していこう、という感じ。
 また、女性と男性という旧来の分け方にあてはまらない人も存在することや、そのような人々に対する差別への反発も、強くなってきました。
 同じように、それまでは当たり前のように存在していた容姿差別や年齢差別といった問題に対しても、NOの声をあげる人が増えてきました。他人を勝手に上だの下だのに配置するという行為全般が、非難されるようになってきたのです。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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