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夫とのセックスは“無”でやり過ごす女風ユーザーに迫る妊活のカウントダウン

夫とのセックスは〝無〟

 そんなセラピストとの濃密な世界とはまるで真逆なのが、夫とのセックスだ。
 月1回の夫との〝おつとめ〟は一言で現すと「入れて出して終わり」の無機質な時間だ。気持ちが「上がる」女風の時間と正反対の、早く過ぎ去ってほしいと願う苦痛に満ちた時間だという。

「夫とのセックスは楽しくないんです。夫はとにかく射精ありきのセックスをしてくる。前戯がないのもあって、挿入するときは当然濡れてないから、そのままだと痛いんです。だから毎回自分でローションを塗っています。夫としている最中は早く終わんないかなとか、トイレに行きたいとか別のこと考えちゃうんです。夫とのセックスは、〝無〟ですね」

〝無〟という言葉が、なぜだかとてもむなしく室内に響く。そうして結衣さんは、これは言っていいものかと戸惑いの表情を見せながらも言葉を続けた。

「実は私、夫とのセックスの最中にセラピストさんとの行為を想像することもあるんです」

 本当に最悪な人間だと思うんですけど――、と結衣さんは慌てて付け加えた。
 その感覚は理解できるものがあった。言われてみれば、私もそうやって他の誰かを想像しながらセックスをやり過ごした経験があるからだ。
 ローションをつければ、気持ちが乗っていなくても、挿入自体はできる。とはいえ、体を襲う不快感からは逃れられない。そんなゆううつな時間だからこそ、結衣さんはセラピストと過ごした甘い時間を空想する。そうしてただ時間が過ぎ去るのを待っている。
 しかしそんなセックスの不満を除けば、夫にこれといった不満はない。だから結婚生活は続けていくつもりだ。

「夫とは今もよく小さなことで言い争いはするんですが、結婚相手としては合格点だと思います。だからすごく夫へは罪悪感があるんです。でも今は女風の利用はどうしてもやめられないんですよ。これからも女風の利用は、自分が満足するまでやると思います。ただ、いずれは夫と子どもを作りたいねという話になっているんです。だから、本格的に妊活を始めることになったら、女風の利用は卒業しようと思っているんです。それまでは遊んでおきたいというか、やりたいことは、全部やり尽くしたいなって」

写真:photoAC
写真:photoAC

 結衣さんは、そう言って私を見つめた。その瞳の奥から、結衣さんの葛藤を感じ取ってしまう。だけど、きっともう後戻りはできない。結衣さんの「遅れてきた春」はまだ始まったばかりだ。夫にバレない限り、結衣さんの二重生活はしばらく続いていくだろう。ひりつくような胸の痛みとジレンマを抱えながら――
 それでも、いつか季節の終わりはやってくる。浮足立つような春は、あっという間に過ぎ去るものだ。未来は誰にもわからないが、数ヶ月後もしかしたら結衣さんは小さな命をお腹に宿しているかもしれない。
 結婚、妊娠、出産、育児――、女性のライフステージは、時を追うごとに目まぐるしく変化していく。それはまるで移ろう季節みたいだ。だからこそ、結衣さんは今この瞬間でしか味わえない「春」を、全身で味わおうとしているのだろう。
 結衣さんにお礼を言って、私たちは新橋駅で別れた。

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菅野久美子

かんの・くみこ
ノンフィクション作家。1982年生まれ。
著書に『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)、『ルポ 女性用風俗』(ちくま新書)などがある。また社会問題や女性の性、生きづらさに関する記事を各種web媒体で多数執筆している。

Twitter @ujimushipro

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