よみタイ

群ようこ「いかがなものか」
ふだん何となく思っていながらも保留にしがち、あるいは言い切れないこと。
世間で起こる事件、流行、事柄、町で見かけたことなどについて、
違和感と疑問をスパッと投げかける。
群ようこ流、一刀両断エッセイ。

第16回 女子

 高齢者が増えていくにつれて、中高年の女性に対する呼び方が迷走している。昔の女性は、女の子から成長すると、おねえさん、おばさん、おばあさんとその年代によって、呼び方が変化していて、それに対して特に文句をいう人もいなかった。しかしある時期から、
「おばさんと呼ばれるのは許せない」
 という女性が増えて、そう呼ぶのがはばかられるようになった。
 私が若い頃には、新聞の事件・事故の報道でそれに関係した女性に関して、「六十歳の老女」と書いてあった。今はそういう書き方はしていないはずである。童謡でも村の渡しの船頭さんは、「今年六十のおじいさん」である。還暦を過ぎたら明らかに老人に片足を突っ込んでいるが、現代は昔に比べてみな精神も肉体も若いので、とてもそうは呼べない。また中高年でアンチエイジング命の女性も多く、断崖絶壁に少しでもふんばって絶対に老いを認めようとしない人たちも多い。そういう人たちに、
「おばさん」
 と声をかけたら、末代までたたられそうな気がする。
 私自身はアンチアンチエイジング派なので、歳は取るものなのだから、しょうがない。
「にんげんだもの(©相田みつを)」
 と思っている。他人に汚らしい印象を与えるのは論外だが、そうでなければ必要以上に若作りをしなくてもいいという考えだ。中高年女性のアンチエイジング命の方々は、異性を意識するというよりも、同性を意識している人が多いので、他の同性の外見のみをチェックして、同性内におけるランキングを少しでも上げようとしているところが、ちょっと面倒くさいと感じる。しかし他人様の問題というか性格なので、私としては、やりたい人はやればいいし、やりたくない人はやらなければいいと思っている。

私が三十代の半ばくらいだったと思うが、十歳ほど年上の知り合いに紹介された、お友だちの女性がとても素敵な方で、インテリアグッズやアクセサリーなどの、展示販売をするとうかがったので行ってみた。作品はどれもすばらしく、来場している人がとても多くて大混雑だった。平日の日中だったので、来場者は中高年の女性しかおらず、私はそれをエッセイで、おばさんばっかりだったと書いた。すると後日、それを読んだ方から、「自分もその場にいた。おばさんと書くのはやめて欲しい」という手紙が来た。主催者であるお友だちの方は、それについてはまったく気にしておられず、面白く書いてくださってうれしかったといっていただいたのだが、彼女とは関係のない方が、私に手紙をくれたらしい。
 しかしその場にいたのは、見事におばさんだけだったのである。私は当時五十代の女性を、「おばさん」以外に何と呼んだらいいのだろうかと考えた。私自身は「おばさん」に対して、マイナスなイメージは持っていないし、それどころか、
「世の中はおばさんがいなければ、回っていかない」
 くらいに考えていたので、逆に「おばさん」がいやだといわれると困った。その後は「中高年女性」とか、書いたような気がするが、いつも心の中では、
(おばさんなのになあ)
 と首を傾げながら書いていた。編集者に聞いたら、
「おばさんは容姿にかまわないイメージがあるんじゃないでしょうかね。そういわれると、自分は違う、きれいにしていると怒るんじゃないでしょうか」
 といわれた。
「それじゃ、きれいなおばさんじゃだめなの?」
 と聞いたら、「おばさん」という言葉を目にすると、反射的に拒絶反応を起こすのではないかという話だった。しかし不愉快に思う人がいる表現はなるべく避けたいので、まあ、「中高年女性」でいいかと納得した。文句の手紙もこなくなった。これには拒絶反応はないようだった。おじさんはマイナスイメージはないのに、おばさんにはある。おやじにもちょっとマイナスイメージがある。ちゃんと「おばさん」にはさん付けしているのに、どうしていやがるのかなあと不思議でならなかった。
 私の年上の友だちは性別不明の外見の人が多く、新婚当時なのに、保険外交員に、
「ぼく、お母さんは」
 と聞かれたり、また別の友だちは、電車内でむずかる幼児をあやしていたら、降り際に父親から、
「優しいお兄ちゃんなんだね、どうもありがとう」
 と御礼をいわれた。彼女たちに「おばさん」について聞くと、二人とも、
「さんざん異性に間違われてきたので、性別が一致しているから『おばさん』といわれても平気」
 といっていた。老人をシニアといい換えたりしていて、実態は同じなのに表現を変えて立場がましになったと錯覚させる方式が続いているが、「おばさん」はいったいどういい換えたらいいのかわからない。外国人女性は全員マダムと呼んでもいいんじゃないかという気がするが、日本人の中高年女性の場合は、おばさん=マダムではない。飲食店などで年齢が上の女性の店員さんを呼ぶときに、男性は、
「おねえさん」
 と呼んだりしているが、これは一般的にはあてはまらないだろう。
「美魔女」もひどいネーミングで、どうして「魔」の字が使われるのか理解できない。「美魔女」は女性たちからは支持されていないようだ。自分で、
「私は美魔女」
 などという女性は少ないだろうし、
「あなたは美魔女ね」
 と褒めたくなるような人は数少ない。同性としても、きれいな友だちを「美魔女」とは呼びたくない。素直に素敵といえばいいだけである。
 私のようにどっぷりおばさんで、初期高齢者が目の前で、おばあさんといわれる可能性がある年齢になってくると、ますます図々しくなってきた。おばあさんになったほうが、もっと楽に暮らせるような気がするので、何といわれても平気だが、四十代だと「おばさん」は心にぐさっとくるのだろう。しかし適切な言葉が見つからず、迷走しまくった結果、彼女たちが選んで便利に使いはじめたのが、「女子」だったのである。
 最初に女子会という言葉を使ったのは、十年以上前、ある飲食店のイベント広告でのコピーだったらしい。流行語大賞にも選ばれたそうだ。十代から二十代までは、「女子会」でもまったく問題ないと思うけれど、三十代からはちょっと恥ずかしい気がする。しかし実際はそうではない。四十代から六十代まで使っている。女子とはいえないくらい年齢が上なのに、やはり「女子」は気が引けたのか、「大人女子」などというわけのわからない言葉が出てきたり、近年は「グレイヘア女子会」などという言葉も目にして、
「いったいあんたたちの立ち位置はどこなのだ」
 と呆れてしまった。
 中高年の女性が、同性で集まるときに、平気で「女子会」という神経がわからない。同年輩の男性の集まりは、「男子会」とはいわない。たとえば五十代、六十代の男性たちが、「今日は、男子会でーす」
 などといったら、多くの人は、
「何いってんだ、この人たち」
 と感じるだろう。私にとっては女性がそういうのも同じ感覚なのだ。たしかに性別は「女」ではあるが「女子」ではない。
「あなたたちの娘がそういうのならまだしも、あなたたちはどこから見ても女子という年齢じゃないだろう」
 という人々が、平気で、
「私たち、女子会でーす」
 などといっている。そういう姿を見るたびに、彼女たちよりも年上の私は、
(ふん、おばさんの集まりじゃないか)
 といいたくなるが、ぐっと我慢している。私も基本的に月に一回、着物が好きな友だちと集まって、着物で昼食を食べているけれど、「ランチ会」と呼んでいる。とてもじゃないけど現実の己を考えると、十二分に大人なのだから、恥ずかしくて「女子会」などとはいえない。参加している友だちもみな同じ考えだと思う。
 中高年の集まりなのに、平気で「女子会」といってしまう人たちは、やはり「老」から必死にのがれようとしたいらしい。もしかしたら一人一人は、ちょっと恥ずかしいと感じていても、主導的立場をとる女性が、
「女子会ね」
 といいはじめたら、日本人特有の一緒にいれば怖くない、あるいは一緒にやれば図々しくなれるの典型で、「女子会」にまざっているのかもしれない。いずれにせよ、「女子会」といってしまう中高年女性の集まりは、みっともないとしかいいようがない。
 だいたい「女子会」といったって、自分たちが若返るわけではないのである。たしかに女性だけで集まると、中・高校生の頃と同じように話が尽きず、盛り上がるというところは、明らかにかつての若い自分と同じかもしれないが、今は違う。
「私って、まだ昔の、中・高校生だった頃と同じように、無邪気でかわいいところがあるし」
 と過ぎ去った若さにしがみついているようで、みじめったらしい。一時期、「大人かわいい」などといった言葉が流行り、今も使っている人がいるが、いつまでも「若い」「かわいい」と思われたい、そしてそういわれるのが大好きな日本人的な発想だろう。
 最近は中年の男性でも、自分よりも年上の女性に対して、褒め言葉として「かわいい」とか「若い」というのは失礼だと感じている人も多くなった。自分はそうはいわないと話しているのを耳にした。精神的な大人が増えてきたのに、相変わらずおばさんたちは、人からそういわれるのを求める。いわれなくなった人は、自分からアピールするようになった。それを「女子会」には感じるのだ。たしかに老若男女関係なく、人としてチャーミングなかわいらしさは必要だが、それは若さとは違う。それをわざわざ「女子」とことわるところが恥ずかしい。私にとってはかわいらしくないより恥ずかしい。「女子会」といって表面的に浮かれているのではなく、素敵な大人の女性とは何かを、これからの中高年女性は考えたほうがいい。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社、84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』を刊行。同年に同社を退職し、専業作家となる。小説に『無印OL物語』などの<無印>シリーズ、『かもめ食堂』『婚約迷走中 パンとスープとネコ日和』『咳をしても一人と一匹』『散歩するネコ れんげ荘物語』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『かるい生活』『まあまあの日々』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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