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パリ郊外の暴動のさなか、流れ弾と催涙スプレーに裸足で逃げ回った2007年の夏 第5回 パパ・ヘミングウェイもびっくりな猫沢家の移動「呪」祭日

父め、東京にも愛人を作っていやがったのか!

 そもそもだ。この物件を決めたのは母。そして、引っ越しの際には父も上京して、日用品の買い出しを手伝ったりしている段階で気づくべきだった。猫沢家の移動ゲットー体質の呪いを。前回のヅラ引き大会の舞台にもなった、父が山の上に建てた二世帯住宅の土地は、祖父母が買って、父と、弟の叔父にそれぞれ贈ったものだが、「蛇石へびいし」と言う地名には土地の呪いがあるとかないとかで、確かにここに引っ越してからろくなことがなかった。となりの叔父の家は、東日本大震災時に崩れてたち退いた。因縁のある場所へ自然に引き寄せられる猫沢家の呪いは、時を経て、私自身にもかけられているとでも言うのか。
 ところで、父が上京して引っ越し準備をしているとき、こんな珍事もあった。まもなく大学の入学式が行われる3月下旬は、どこのお店も家具の配送などが混み合っており、4月中旬まで届かない。それで、駅前の家具屋で買ったベッドだけ、私たち三人で自力で運ぼうということになった。店でもらった細いビニール紐を、ベッドの本体に何重にもかけて持ち手を作り、三人でちょっと運んで少し止まる、を繰り返して、通常徒歩で20分かかる道のりを、とうとうアパートまで運びきった。周りから見れば、相当おかしな人たちに見えただろうが、これも人の目を気にしない田舎者のなせるわざか。ホッとして、駅前の定食屋でお昼ごはんを食べていたとき、向こうの席にひとりで座っていた女性がスッと立って、こちらに歩いてきた。咄嗟とっさに「父め、東京にも愛人を作っていやがったのか!」と思った経緯については、また別の回で触れるとしても、そんなことをまず思わねばならない我が身が哀しかった。女性は「あの……もしや、猫沢○○さんですか?」と父の名を告げた。横にいた母の目が途端につりあがる。ははん、母も同じことを考えたな。
 すると女性は、ポケットから父の免許証を取り出して「お店を出たところの通りで拾ったんです。写真とそっくりのお顔の方がいらっしゃったので驚きましたが」と、手渡した。
 慌てて確かめてみると、父は確かに免許証を気づかぬうちに落とし、それをたまたま見つけた女性と、たまたま同じ時間に同じ場所で昼食を摂ったのだ。こんなラッキーも、猫沢家の呪いにはなんの役にも立たなかったが。

 この原稿を書いている7月下旬の今日も、朝から売人たちの小競り合いがあって警察が取り押さえているところを、ベランダから眺めていた私たち。

《もしキミが、不幸にも子供時代に猫沢家に住んだとすれば、キミが残りの人生をどこで過ごそうとも猫沢家はついてまわる。なぜなら猫沢家は移動祭日だからだ。》

次回は9月15日(木)公開予定です。どうぞお楽しみに!

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猫沢エミ

ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に料理レシピエッセイ『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。
9月、一度目のパリ在住期を綴った『パリ季記 フランスでひとり+1匹暮らし』が16年ぶりに復刊(扶桑社)。また、12月9日には最新刊、愛猫イオの物語『イオビエ』(TAC出版)が発売されたばかり。

Instagram:@necozawaemi

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