よみタイ

パリ郊外の暴動のさなか、流れ弾と催涙スプレーに裸足で逃げ回った2007年の夏 第5回 パパ・ヘミングウェイもびっくりな猫沢家の移動「呪」祭日

繰り返される「ド」と「ペ」と「ナ」〜大学入学時のアパートのポストに あった驚愕の品々

 この〝悪環境に対する耐久性が異様に高い〟というキャラクターも、まさに猫沢家の負の遺産だ。そしてこのとき思い出していたのは、さらにさかのぼること1989年。音大に入学するため福島県白河市から上京して、神奈川県・溝の口でひとり暮らしを始めた、あのアパートでの数々の珍事について。母と私は本格的な引っ越しの前に、右も左もわからない新天地に上京し、地元の不動産屋で【音大生歓迎・ピアノ演奏可・女性専用】しかも高くない好物件を見つけた。正確には母が。父の営む不動産会社を手伝うために宅建をとっていた母は、いちおう不動産のプロだったので、「ここが絶対いいわよ! 私が言うんだから間違いなし」と、不気味なほど太鼓判を捺す母の言葉を、私は信じるしかなかった。その、母が太鼓判を捺したアパートに、ある夜遅く帰ってくると、ポストにまるまるとしたドブネズミがお亡くなりになった状態で入れられていた。

 ぎゃあああああああああ!!!

 と、真夜中の女性専用マンションにこだました悲鳴に驚いた隣人の女の子が、「大丈夫ですか?」と出てきてくれた。事情を説明すると、別に驚きもせず「またか……。私もやられたことあります。実はこのマンション、隣に元々立っている古い木造アパートの大家と日当たりのことで建設当時から揉めてるみたいで。住人への嫌がらせがずっと続いているんです」と言うではないか。それから数日後、今度はペヤン○ソース焼きそばが、ご丁寧にソースと付属のかやくまできっちり絡められた状態で、中身だけがポストに投函されていた。すぐに食べられるようにしてくれたんだね……って、やめんかーい!また別の日には、アパートの入り口前に大小さまざまなテレビが積み上げられ、住民が軟禁状態に。ナム・ジュン・パイクのテレビ彫刻に似た、イカした嫌がらせインスタレーションだった。その後、他の部屋の子たちとも話し合い、大家に何度訴えても状況が変わらないから、住人同士でセイフティーネットワークを作って、助け合いましょうということになった。確かにこのアパートは、問題が多かった。音大生が中心の、ピアノ演奏可能なアパートのはずなのに、ろくに防音設備を施しておらず騒音が問題になっていること。女性専用アパートを名乗っているのに、建物の入り口には外部侵入者を防ぐセキュリティー設備がまったくないことなど。この手の込んだ嫌がらせの他にも、下着泥棒、痴漢出没など、女性としては身の危険を覚えるレベルにまで悪化してきたので、実家の母に電話して実情を訴え、引っ越しさせてもらおうと試みた。ところが母は、「よし、わかった。お母さんに任せなさい」と言うと、電話を切ってしまった。それから数日後、「今から新幹線で上京するから〜。最寄り駅に着いたら、公衆電話から電話するね」と、母から急な連絡があった。しかし待てど暮らせど連絡は来ない。携帯電話が登場する前の話で、他に連絡する術もなく、到着予定時間を2時間ほど過ぎて、ようやく母から電話があった。方向音痴の母は道に迷ってどうやら真逆の方向へ進みに進み、「なんか大きな川が見える」と、多摩川まで歩いてしまった。うちのアパートのある神奈川県 ・溝の口から多摩川までは結構な距離がある上、やっと母を回収できたとき、さらに驚いた。地元から持ってきたという高級巨峰を、5箱ずつ両手にぶら下げていた。「なんでこんな重いもの、わざわざ持ってきたの?」といぶかしがる私に母は言った。「バカねえ。嫌がらせしてるお向かいのアパートの住人に配るのよ。巨峰をもらって嫌がらせをやめない人なんか、この世にいないんだから」と胸を張って。おゝ この田舎の良き人に神のご加護を……って、おい!お母さん。残念ながら、都会のドブネズミとペヤン〇とナム・ジュン・パイクに巨峰は効かないと思うよ。そしてやっぱり効かなかった。しかし、その後何度相談しても「巨峰をあげたんだから、大丈夫だって」と聞く耳を持たない母のせいで、その後大学4年間、結局引っ越しさせてもらえず、がエンドレスに繰り返された。

 

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猫沢エミ

ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に料理レシピエッセイ『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。
9月、一度目のパリ在住期を綴った『パリ季記 フランスでひとり+1匹暮らし』が16年ぶりに復刊(扶桑社)。また、12月9日には最新刊、愛猫イオの物語『イオビエ』(TAC出版)が発売されたばかり。

Instagram:@necozawaemi

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