2022.8.18
パリ郊外の暴動のさなか、流れ弾と催涙スプレーに裸足で逃げ回った2007年の夏 第5回 パパ・ヘミングウェイもびっくりな猫沢家の移動「呪」祭日
パリ郊外の暴動のさなかの流れ弾と催眠スプレー
ゲットーに強い私(どんな私だよ)、ができたのには理由がある。パリに最初にアパルトマンを借りて暮らした2002〜2006年のあとの2年間、当時私が所属していた《MAC -graffiti -マック・グラフィティー》というプロのグラフィティー集団(私は絵も描く人である)のアトリエに暮らしていたことがあった。場所はメトロ3番線の終点ガリエニ駅。ここはすでにパリ郊外の入り口、バニョレ市だ。ところで、フランスの郵便番号はこんな感じ。例えばパリなら75がパリ市の番号、その下3桁が区を表していて、「パリ1区」なら「75001」となる。この郵便番号で、エリアのイメージがガラリと変わる。「75」であれば、下につく番号がひとまずなんであれ、パリ市内だからOK。ところが、このバニョレ市を含む「93」がつくエリアは、誰もがまず〝どゲットー〟という単語を思い浮かべる地域だ(昨今では、このあたりもBOBO化が進んで、ハイソなエリアも登場しつつある)。2019年のフランス映画《レ・ミゼラブル》は、監督ラジ・リが生まれ育ち、現在も暮らすパリ郊外のモンフェルメイユを舞台にした作品だ。ヴィクトル・ユーゴーの名著と同名なのは、モンフェルメイユこそレ・ミゼラブルの舞台だから。ここは「93」の中でも、とりわけハードコアなエリアで、映画を観たとき、あまりの治安の悪さに「こんなところに自分は2年も住んでいたのか?!」と、震えたほど。
モンフェルメイユに比べればぜんぜんマシだが、確かにバニョレに住んでいた頃は、いろんなことがあった。2007年のフランス大統領選でニコラ・サルコジが初当選した夜は、右派のサルコジに対して左派支持者が圧倒的に多いこの地区の住民が結果に憤慨。街中の車に火をつけて、一晩中たいそう明るかった。真っ赤に燃え上がる外の様子を眺めながら「あー……〝明暦の大火″や昔の大火事って、こんな感じだったのかなぁ」と想いを馳せる始末。また別の夜には、駅前のATMが、ボックスごとショベルカーで持ち去られるというギャグみたいな事件も。最も命の危険を感じたのは、暴動が起きているのを知らずに通りへ出てしまい、騒ぎを制圧する警察の騎馬隊が出動する中、誰かが撃った流れ弾が近くを掠めた同じく2007年・夏。お母さん、先立つ娘をお許しください……っていう、映画でしか聞いたことのないセリフを、実際に自分が口にするとは思ってもみなかった。「逃げろ!!」誰かが後ろで叫んだ。とっさに履いていたパンプスを脱いで胸に抱え、裸足で走り出した次の瞬間、馬上の警官が催涙スプレーをまいて目が見えなくなった。友達と待ち合わせたガリエニ駅に命からがらたどり着いたとき、初めて「なぜこんなところに住んでいるのだ?! 引っ越さねば」と、2年も暮らしてからようやく気がついたっていう。