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猫沢エミ「猫沢家の一族」

そっくりすぎる二人でも、相手にあって父になかった決定的なもの 第4回 サン=テグジュペリと父、星の王子さまとハゲの王子さまの邂逅(かいこう)

真夜中のヅララグビーとヅラ引き大会

 また別の夏には、目の前で突然ヅラを外した父を見て「お化け―――――—ッ!!」と幼い従姉妹の断末魔の叫びが猫沢家に響き渡った。このように色とりどりの経緯を経て、父がヅラであることは家族だけに限らず、近所の人々にも暗黙の了解といった感じで浸透していったように思う。趣味のゴルフへ行けば、仲間の前で平然とヅラを外してシャワーを浴びるなど、もはや父にとってのヅラとは帽子のようなもので、ハゲというコンプレックスなど、とっくの昔に乗り越えているものだと思っていた。母の電話がかかってくるまでは。

 めずらしくしんみりした声の母の話はこうであった。昨夜遅く、かなり酔っ払った父が帰ってくるなり、玄関の土間で泣き始めたのだという。びっくりした母が「どうしたの?!」と問いかけると父は「俺は……俺は……本当は、カツラなんか大っ嫌いなんだあ!」と叫ぶと、かぶっていたヅラをむしりとり、土間に叩きつけた。それから父は家の中に駆け込み、寝室に陳列してあったスペアヅラを含む3ヅラを、やおら引っつかんだかと思うときびすを返して玄関に戻り、叩きつけたヅラも拾い上げて外へと走り出た。当時の猫沢家は、父が設計して山の上に建てた二世帯住宅に暮らしており、家の前には広い空き地があって、ゴミを燃やす土管が置いてあった。父はその土管にヅラを放り込むと、ライターを取り出した。

「やめてぇぇぇぇぇええ!! それ、いくらすると思ってるのよ!!」

 後ろから追いかけてきた母が父にタックルを食らわして土管ごと倒れた。すかさず母は、倒れた土管から転がりでたヅラをかき集め、家に駆け込もうと走り出す。それをまた父が後ろからタックルして、ゆるんだ母の腕からヅラが宙に舞う……まるでタランティーノの映画のように。高価なヅラを燃やされまいと、必死に守ろうとする母。その母からヅラをだっかんしようとする父。しまいには、ヅラの端と端を引っ張り合う“ヅラ引き大会”にまで発展し、泥だらけの父と母は、ヅラが散乱する空き地で疲れ果てて倒れたまま朝を迎えたのだという。

「青春じゃん」

 開口一番、私はこう答えた。「なに言ってんのよ〜。お父さん、ああ見えてハゲを気にしてたんだってことがわかっちゃって、なーんか切なくなっちゃった」と母はメランコリックに心境を語っていたけれど、ヅララグビーとヅラ引き大会の話が凄すぎて、とても父に同情できるはずもなかった。そもそもこんな話、当事者のくせにしんみりとした口調で語れる母の底知れなさにもせんりつを覚えていた。

 1944年7月31日、自由フランス空軍の志願兵として偵察機のパイロットをしていたサンテックスは、フランス内部の写真偵察のためボルゴ基地から単機で出発後、消息を絶った。この前年、1943年4月にニューヨークのレイナル&ヒッチコック社から英語版の『星の王子さま』が出版され、本国でのフランス語版出版の方が1946年と後だった。奇しくも彼の遺作となった『星の王子さま』は、サンテックスが人類に遺した美しい贈り物である。かたや彼に瓜二つの父は、弟たちに「将来ハゲても困らないように」と、自身の大事なヅラのうちの1つを形見に遺してこの世を去った。今も夜空を眺めると、王子さまとサンテックスが暮らす小惑星 B 612と並んで、父が歴代のヅラたちと暮らすハゲ星が私には見える。その星が妙に光輝いて見えるのは、コンプレックスとヅラを永遠に脱ぎ捨てた父のツルピカハゲ頭に、光が乱反射しているからだと想像している。

次回は8月18日(木)公開予定です。どうぞお楽しみに!

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猫沢エミ

ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に料理レシピエッセイ『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

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