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心に残る、食べられなかったジョージア料理

「よくここに泊まってますね。すごいでしょ、ここ」
 彼は言った。
「うん……、私の部屋、ちょっとかび臭いかも」
「そうなんですよね。だけどここがいちばん安いからなあ」
 どうやら彼も、経済的な理由でこの宿を選んだらしかった。このとき、そんなに長く会話をしたわけではない。というのも私は半時間に一度はトイレに通う状態だったし、そもそも長話できるほど体力も気力もなかった。だが、なぜ彼がここにいるのかはとても知りたかった。

「サッカーをしているんです」
 彼は言った。ジョージアのプロチームに所属しているということだった。スポーツ全般に疎い私は、ジョージアにサッカーチームがあることも知らなかったし、この国がサッカーにどれくらい力を入れているのかも知らない。けれども、バックパッカーかな、という予想が裏切られたのが面白く、嬉しかった。
「どうしてもサッカーをして生きていきたくて。小さい頃からサッカーが大好きで、それ以外してこなかったし、したくないし」
 サッカーのことはわからなくても、彼の気持は切実にわかる。私も同じようなものだからだ。小さい頃から書くことが大好きで、実際、それ以外してこなかった。そして、そうやって生きるためなら、多少の苦労や貧乏もどうでもよかった。
 だから彼にはとても共感した。しかしそれをうまく表せるほど身体が元気ではなかったので、彼に伝わったかどうかはわからない。もっと話が聞きたいから数日後に夕食を一緒にとろう、と私は提案した。今日はもう休むけど、と。彼は「ぜひそうしましょう」と笑顔になった。

 しかし、残念ながら、その機会は訪れなかった。私の体調が悪すぎたからだ。矛盾しているように思われるかもしれないが、いちばん心に残っている食事は、どうにかひとつだけ食べたヒンカリではなく、サッカー選手の彼との、食べられなかったジョージア料理だ。
 今、彼がどうしているのか、私は知らない。あれから数年が経ったけれど、いまもどこかでサッカーをして生きていてほしい。好きなことをするためだけに生きてみるやりかたを、貫いていてくれたらな、と思う。

トビリシは坂道の多い街。景色も地形も起伏に富み、歩き回るのが楽しい。
トビリシは坂道の多い街。景色も地形も起伏に富み、歩き回るのが楽しい。

濱野ちひろさんの「一期一宴」は不定期連載。次回は、1月下旬ころ配信予定です。お楽しみに。

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新刊紹介

濱野ちひろ

1977年、広島県生まれ。
2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。
2018年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。
2019年、『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞。
その他最新情報は公式HP

写真:小田駿一

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