2021.3.13
「なぜ露出する服で…?」ー無関心だった夫が、夜遊び帰りの妻に感じた危機感(第4話 夫:康介)
彼女の何気ない励ましが慎重な自分に決断をさせるとは
「そういえば櫻井さん。独立されるっていうお話はどうなりました?」
「えっ」
瑠璃子の口から出た「独立」というワードに康介は目を泳がせる。
独立を視野に入れているのは本当だ。しかしその意志はまだ妻の麻美にすら伝えていないのに。
「僕……小坂さんにそんな話までしてたんですね」
現在の康介は大手法律事務所のアソシエイトという立場にある。もちろん世間一般でいえば高給に分類されるだろう。しかしあくまで固定給与。弁護士とはいえサラリーマンと変わらない。
パートナー弁護士になれば個人受任が許され、要は能力次第でいくらでも稼げるようになるが、いつなれるのかどうかも不明だし、そもそも多くのライバルを差し置いてパートナー昇格できるという保証もない。
そのため大手事務所のアソシエイトたちは、40歳前後で自分のキャリアを見つめ直すことになる。パートナーを目指すか、独立するか。中には収入減にはなるものの安定の社内弁護士に落ち着く者もいる。
康介が尊敬している先輩も、ちょうど5年前に独立して虎ノ門に個人事務所を開業した。
それをきっかけに独立を真剣に考え始めたので、どうやら当時、盛り上がった気持ちをポロリと瑠璃子に漏らしていたらしい。
「ええと、考えてはいます。今すぐってわけじゃないんですが……」
言いながら、歯切れが悪くなった。瑠璃子は竹を割ったような性格だし行動力の塊のような女だ。5年間もウダウダと何をしていたんだと笑われやしないか心配になったのだ。
「うんうん、タイミングが重要ですものね」
しかし思いがけず、瑠璃子は優しくフォローしてくれた。顔をあげると、彼女は大きな目を細めて、包み込むような、柔らかな微笑を浮かべてこちらを見つめていた。
――へぇ……こんな顔もするんだな。
しばし目が離せなくなる。すると、そんな康介の視線をしっかり捉え、瑠璃子はぷっくり厚い唇をおもむろに動かした。
「私、応援してます。独立する時は連絡くださいね」
単純なもので、瑠璃子と別れたあとも康介の心は高揚し続けていた。
「いつかは」と思い描きながらも今まで動かなかったのは、ただ単にきっかけがなかったというだけだ。
事務所内での康介の評価は悪くない。元来が真面目で勤勉な男だから、次々に仕事を振られると目の前のTO DOに集中してしまう。しかしこのままいつまでも現状に甘んじているわけにもいかない。
――私、応援してます――
久しぶりに会った、クライアントの一人でしかない女の社交辞令を真に受けるつもりはない。だがなんであろうと、いいきっかけじゃないか。
普段の慎重さは封印され、果敢に一歩を踏み出したいと思った。
虎ノ門の事務所に行って先輩に助言をもらおうか。まず何から動くべきか、実際の経験者に聞くのが一番だろう。それから……麻美にも相談しておかないと。独立するとなれば妻のサポートがあるに越したことはない。
そうだ、さっそく今夜話してしまおう。思い立ったが吉日だ。
デスクに視線を落とすと、押し付けられてしまった厄介かつ膨大な案件資料が並んでいた。
しかしこの「やらされ仕事」からも解放される日が来る。それを思うと胸が高鳴り、康介は定時終わりで自宅に戻ると心に決めた。