2021.8.28
妻と間男の密会を目撃…浮気を知った夫が、逆に「離婚はしない」と決めた理由(第16話 夫:康介)
見ず知らずの男に「女の顔」を見せていた妻
「櫻井はよく今まで耐えたよ。あんな、人を人とも思わないような事務所で……けどな、独立は慎重に考えた方がいい」
三軒茶屋の小料理屋に、栗林の声が響いている。ここは彼の行きつけらしく、他の客はおらず貸し切りだった。
以前、麻美とともに彼の自宅を訪れた際はしきりに康介の独立をプッシュしていたはずが、今夜の栗林は慎重論を推してくる。妻の前では否定せずにいてくれたが、彼の本音は最初からこちらだったのかもしれない。
「事務所を出たいのはわかる。ただ、言わなくてもわかってるだろうけど、独立して数人規模の事務所を開いたところで企業は取引してくれない。よっぽどコネクションや営業力があるなら別だが……些末な民事ばかりじゃ金にならないだろ」
栗林の話は正論だ。出世競争に敗れて居場所を失い、事務所を辞めていった仲間はたくさんいる。しかし独立後、軌道に乗せた者は数少ない。栗林はその、レアな人材のうちの一人なのだ。
「そう……ですよね……」
上の空だった意識を無理やりに戻し、相槌を絞り出す。しかしその声は明らかに浮いて聞こえた。
康介の将来を心配し、真剣にアドバイスをくれる栗林には本当に申し訳ないのだが……康介の頭の中は今、別のことでいっぱいだった。
振り払っても払っても、先ほど目の当たりにした残像――麻美が浮気相手に見せた「女の顔」が脳裏から離れないのだ。