2022.9.7
一言目で「抱いていい?」と言われたのは、人生で初めてのことだった──ボブカット美女とのほろ苦いゴールデン街デート
大学時代の思い出
『Deep Love 第一部 アユの物語』の山場の一つである、アユと義之が手を繋いで一緒にベッドで眠りにつくシーンを読んで、それが純粋で美しいものであると思うと同時に、どこかほろ苦い気持ちを抱きながら読んでいる自分がいた。僕も、大学生の頃に似たような経験をしたことがあることを思い出したからだった。
大学三年生のころ。所属していたゼミの教授が、研究室を24時間開放して自由に使わせてくれる人だった。その教授はアントニオ・グラムシの思想が好きで、ヘゲモニー闘争の一環として、昨今の教授と学生の分断を推進する体制への対抗戦術として研究室の24時間開放を敢行していたらしかった。僕はそんな教授の信念はよくわからなかったけど、日常的に研究室を我が物のように使わせてもらっていた。
ある日。大学の講義が終わったあと、気になっていた同じ学年の女性とLINEで連絡を取り合っていた。その女性も講義が終わって大学構内で暇してるというので、「研究室にいるけど来る?」と誘って、研究室の冷蔵庫に置いてあった缶のお酒を一緒に飲んで時間を過ごした。
お酒を飲み始めてすぐ、「ねぇ~、聞いてよ」という枕詞から、このまえ興味のない男の子に告白をされて断るのが大変だったとか、自分はバイセクシャルではないのに女の子の友達にいきなりキスをされて、その女の子から今度海に行こうと誘われていて困っているだとか、笑いを交えながらそんな話をしてくれた。「そうなんだ、大変だね」と相槌を打ちながら聞いていると、二缶目のお酒に差し掛かったところで、「内緒にしてほしいんだけど」と切り出した彼女の口から、池袋のJKリフレで働いているということを打ち明けられた。それから彼女は自分の中で何かが決壊したかのように、こちらの相槌とは無関係なリズムで話を続け、この前おじさんとカラオケに行ってパンツを一瞬だけ見せたら5000円を貰えたということ、おじさんは気持ちが悪い人ばかりだということ、たぶん自分は性嫌悪だからJKリフレのようなことをしている方が性に合うということ、そもそもセックスを気持ちよいと思ったことがないということ、子どもの頃に家族から性被害に遭っていたことがその原因かもしれないということを、次々と話してきた。
「私っておかしいよね?」
度々そう聞いてくる彼女に、「別におかしくはないと思うけど」と、彼女の性格を否定しないよう気をつけながら話を聞いていたら、いつの間にか夜の1時を過ぎていた。彼女は疲れたように、首を折ってパイプ椅子の上で寝てしまった。彼女が寝てしばらくしたあと、僕も気づいたらパイプ椅子の上で寝てしまっていたようで、「ねぇ!」という彼女の大きな声で目を覚ました。窓の外を見ると空が明るんでいて、小鳥のさえずりがどこからか響き、いつのまにか朝になっているようだった。
「男の人の前で寝ることができたの、初めてなんだけど!」
静かな外の空気にはとても似つかわしくない驚き顔で、彼女が言ってきた。そのときの僕は、彼女のその反応が素直に嬉しいと思った。気になっている相手にとっての、唯一の男になれたのだと思った。
それから彼女は時間に見境なく、LINEで自撮りの写真を送ってきたり、今日は何をする予定があるだとか、今日のJKリフレのお客さんはこんな人が来ただとか、今日も客のおじさんは気持ちが悪かったとか、私はやっぱり性嫌悪なんだというようなことを、頻繁に連絡してくるようになった。僕は彼女にとって唯一の男になれたということを失いたくなくて、昼夜を問わずとにかく彼女からのLINEに返事をし続けた。そんなことを繰り返してゆく内に、自分ばかり相手のことを受け入れているのではないかという不満がだんだんと自分の中で大きくなっていった。
僕は彼女のことが好きで、彼女とセックスがしたいと思っていた。性的に自分が受け入れられるということと、自分という存在が受け入れられるということがイコールに思えて仕方がなく、それを彼女に求めたかった。でも、彼女に性的に受け入れてもらうことは無理なように思われた。自分のことを性嫌悪だという人にどうアプローチしてよいのかわからなかったし、アプローチするべきではないとも思ったし、もしできたとしても、それで関係が良くなるようなことを想像することは難しかった。自分の欲望が叶わないのであれば、関係を続けていても辛いだけだし、我慢をし続けたら自分がいつか彼女に理不尽な関わり方をしてしまうかもしれないという不安もあり、だったら穏便に関係を終わらせてしまおうと思った。彼女から届くLINEへの返信のペースを遅くしていったら、だんだん連絡が来る回数も少なくなり、やがて連絡が来ることもなくなった。
性的に受け入れられなければ自分という存在が受け入れられたとは思えないという、セックスに対する過剰な幻想さえ自分が持っていなければ、その女性と関係を続けることができたのにな、と思う。せっかく仲良くなれた関係を自ら壊してしまうような、セックスに対する幻想を持っている自分がバカバカしいと思う。『Deep Love 第一部 アユの物語』の義之は、アユに対してそうした欲を抱かないように描かれているから、欲に負けてアユとの関係を壊すようなことをしない。義之は、好きな女性との関係を自ら終わらせてしまった大学生の頃の僕が、そうなれたらよいのにと抱いた理想の状態に近い存在だ。そうした理想を抱いてからもう8年が経つというのに、自分は相変わらずセックスに対する幻想と、その幻想に紐づけられた利己性に縛られたまま生きてしまっている。かつての自分が抱いた理想とは程遠い人間のまま、時間だけが経ってしまった。