2022.9.7
一言目で「抱いていい?」と言われたのは、人生で初めてのことだった──ボブカット美女とのほろ苦いゴールデン街デート
「私たちみたいな酔っ払いが突っ切ろうとするからだよ」
「三丁目の方に行こうよ。行ったことないお店に行きたい」
店を出るとすぐに、ふえこさんがそう言ってくれた。行ったことないところに行きたいという感情は、デートをしたいときの定番のひとつの感情であるから、ちゃんとデートをしようとしてくれているのだと思うと嬉しかった。ふえこさんは仕事帰りだったらしく、ランドセルのようにパンパンに膨らんだリュックを背負いながら、大きめの手提げ鞄まで持っていた。「手提げ鞄だけでも持ちましょうか」と聞くと、「いいっ」と断られた。
ゴールデン街を抜け出して、新宿三丁目の方に歩きはじめた。「たぶんこっち」とふえこさんが言う方に向かって歩いていると、途中でどこが新宿三丁目なのかわからなくなった。グーグルマップを開いて現在地の青い光が差す方角を新宿三丁目の方に向けると、目の前にある車道の向こう側が新宿三丁目のようだった。横断歩道が少し離れたところにあったから、車道を突っ切ることにした。車が来ないことを確認して中央分離帯まで一気に走ると、支柱の間に二本のパイプを渡したガードパイプが目の前に立ちはだかった。上のパイプは乗り越えるには面倒な高さであるし、上下二本のパイプの間はくぐるには面倒な狭さだった。
「なんでこんな不便なものがあるんだろうね」
「私たちみたいな酔っ払いが突っ切ろうとするからだよ」
ふえこさんは笑いながら手提げかばんとリュックをガードパイプの向こう側にぶん投げ、プロレスラーがリングの中に入るように二本のパイプの間に体をくぐらせて中央分離帯の向こう側に出た。僕は上のパイプに足を掛けて飛び越えることにした。腰を折ってリュックと鞄を拾うふえこさんを待ち、向こう側の歩道まで一緒に走ったところで再びグーグルマップを見ると、現在地の青い光がまた新宿三丁目とは逆側にいることに気がついた。地図をよく見ると、さっきまでいた場所が新宿三丁目だった。原因がなんなのかわからないが、僕のグーグルマップの地図は前々から間違った現在地を指し示す。お酒を飲んで僕の頭も誤っていたから、誤ったグーグルマップの現在地が正しいと思いこんでしまっていた。
「すいません、逆でした」
せっかく苦労してパイプの間をくぐってもらったのに申し訳ないと思って謝ると、
「やばい、やばい」
ふえこさんはお酒を飲んでいるときと同じように口角を綺麗に上げてニヤニヤ笑いながら前を向いているだけだった。もう一度ガードパイプを突破する体力は残っていなかったから、今度はおとなしく歩道のところを渡って元いた方向に戻り、新宿三丁目に向かった。