よみタイ

親のパンツを使い捨てる、という決断

 廃棄するように夫に言ったのは気兼ねからではない。私ならハンドシャワーと棒付きブラシでさっさと済ませてしまう作業だが、配偶者でも肉親でもない人々の排泄物のついたパンツに嫌悪感を抱かない嫁や婿がいるだろうか。それを強要して相手の愛情や倫理、人間性を見極めようとする行為ほど卑しいものはない。
 どっちにしてもしないで済むことを、不快感を押し殺してする必要はない。まずは自宅と実家のタンスをかき回し、古いパンツを山と集めてきた。それを繕い、ゴムを入れ直し、使い捨て態勢を整える。何でも取っておく大正生まれと衣類を捨てられない昭和生まれの母娘のタンスの肥やしが、思わぬところで役に立った。
 
 洗濯物の件は片付いたとして、この先、検査、入院、通院と、しばらくの間、母のところに通えなくなる。そこで従姉妹たちに電話やメールで、顔を見せに行ってくれるように頼む。
 金銭や労力等々、介護についての責任は娘が負うとして、身内の女性達の笑顔と優しい言葉が年老いた母にとっては何よりうれしい。年寄りを看るに当たって、責任を負う者と喜ばせてやる者は別で、その役割分担と自覚はけっこう重要だ。一人の人間に双方の役割を求められても困る。最大の懸念は、母の方が現在六十代、七十代、八十代の従姉妹たちより長生きしそうなことだ。
 
 次の問題は私の退院後だ。どんな治療が待っていて、どのくらいの頻度で通院することになるのか皆目わからない。老健は老人ホームと違い在宅介護に繋げるためのリハビリを行う所で、原則として、三ヵ月から一年以内に退所しなければならない。最悪、がん治療を継続しながらの介護が待っている。自らの余命を宣告された後、残された日々で母親の老人ホーム探しに奔走した女性作家、Sさんのことが頭をかすめた。

 考えてみると介護者のがんは、周囲を見回すとごく普通にある。特に認知症患者の介護者ががんに罹患するケースの多さについては、そのストレスを考えれば驚くには当たらない。
 しゅうとを自宅で看ていたお嫁さん、母親を介護していた娘などが、被介護者より先に亡くなるのは、珍しいことではなく、つい最近も、友人の妹さんが実母を見送った後に亡くなり、四十九日法要を母娘、一緒に執り行った。ワーカーさん、民生委員さんと話していてもそんな例はいくらでも出てくる。
 年寄りを自宅で看ていれば、要介護度に関わりなく、自分の体調は二の次、三の次になる。家に一人置いていくわけにはいかず、かといって自分が検査を受けたり治療するために遠方の病院に同行させるのも難しい。
「病気が見つかって入院とか言われると、おばあちゃんを看る人がいなくなるので、いくら具合が悪くてもお医者さんには行かない」と当たり前のように語った知人もいた。
 
 政策上意味がないと見なされるのか、こんなことは表には出ないし、話題にもならない。
 高齢化が進み、寿命が尽きた後も死なせない医療技術だけが発達し、その一方で医療福祉関連の支出がふくれあがる中、負担を丸投げされた家族が形ばかりの公的支援の中で疲弊し、病み、次世代を巻き込んで崩壊していく。少子高齢化ばかりが元凶とされる問題だが、人も他の生き物と同様、生きて、寿命が尽きて死に、次世代に取って代わられる存在だ。その当たり前のことが忘れられ、自然な生死のサイクルが歪められている。その先にあるのはまさにディストピアだ。

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。
撮影:露木聡子

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