よみタイ

篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

第5回 親のパンツを使い捨てる、という決断

 入院先については聖路加せいるか国際病院を選んだ。医療水準が同じなら、そして自宅からの所要時間も同じくらいなら、一生に一度のセレブ入院も悪くない。運悪く再発し、最終的に治癒の見込みなし、とされたとき、緩和ケア病棟のある病院で順調にあの世に送ってほしいという気持ちもあった。
 週明け早々、乳腺クリニックに電話をして「聖路加」を希望する旨を伝えると、看護師さんから慎重な口調で応答があった。
「あの、聖路加さん、全個室ですから、差額ベッド代がお高いですよ」
 なんの。どうせ一生に一度、生まれて初めての個室だ。パソコンを持ち込んで仕事をすれば、一泊一万や二万。
「三万円以上ですかね。今回だけでなく、その後もそちらの病院にかかることなども考慮しますと……」
 一泊三万。絶句。
 確かに抗がん剤治療や転移で再手術、緩和ケアなどということになったら……。一ヵ月で百万。しかも辛い体調であれば病室で仕事などできない。ノーテンキな目論みが瓦解がかいしていく。 
 だが、「個室にしとけ」と夫。
「僕なんか隣のベッドのじいさんの夜間譫妄せんもうで寝るどころじゃなかったから」
 確かに。
 人生、初のセレブ入院。公立病院の大部屋しか知らない者にとっては、いろいろ発見もあるかもしれない。
 度胸を決めて紹介状をお願いする。
 入院先は決まったが、いつから、どのくらいの期間か、は未定だ。
 とりあえず母が入っている老健(介護老人保健施設)に連絡を入れ担当者に事情を話す。
 それまで、週二回、施設に通い、面会のついでに洗濯物を受け取り、洗ったりつくろったりして届けるということをしていたが、これからしばらくの間は施設のクリーニングサービスをお願いするつもりだった。だが、翌月分の申し込み期限に間に合わず、四月中はそちらのサービスが使えないことが判明。
 その間は洗濯については夫に頼むことにする。その際、排泄物の汚れのついた手洗いが必要な下着類については、可燃ゴミに出してくれるようにと指示した(リハビリパンツは断固拒否、の年寄りは案外多い。ちまたで言われるようにプライドの問題などではなく、肌触りに違和感があり、場合によってはかゆみを生じることもあるので、問答無用で脱いでしまうのだ)。

 廃棄するように夫に言ったのは気兼ねからではない。私ならハンドシャワーと棒付きブラシでさっさと済ませてしまう作業だが、配偶者でも肉親でもない人々の排泄物のついたパンツに嫌悪感を抱かない嫁や婿がいるだろうか。それを強要して相手の愛情や倫理、人間性を見極めようとする行為ほど卑しいものはない。
 どっちにしてもしないで済むことを、不快感を押し殺してする必要はない。まずは自宅と実家のタンスをかき回し、古いパンツを山と集めてきた。それを繕い、ゴムを入れ直し、使い捨て態勢を整える。何でも取っておく大正生まれと衣類を捨てられない昭和生まれの母娘のタンスの肥やしが、思わぬところで役に立った。
 洗濯物の件は片付いたとして、この先、検査、入院、通院と、しばらくの間、母のところに通えなくなる。そこで従姉妹たちに電話やメールで、顔を見せに行ってくれるように頼む。
 金銭や労力等々、介護についての責任は娘が負うとして、身内の女性達の笑顔と優しい言葉が年老いた母にとっては何よりうれしい。年寄りを看るに当たって、責任を負う者と喜ばせてやる者は別で、その役割分担と自覚はけっこう重要だ。一人の人間に双方の役割を求められても困る。最大の懸念は、母の方が現在六十代、七十代、八十代の従姉妹たちより長生きしそうなことだ。
 次の問題は私の退院後だ。どんな治療が待っていて、どのくらいの頻度で通院することになるのか皆目わからない。老健は老人ホームと違い在宅介護に繋げるためのリハビリを行う所で、原則として、三ヵ月から一年以内に退所しなければならない。最悪、がん治療を継続しながらの介護が待っている。自らの余命を宣告された後、残された日々で母親の老人ホーム探しに奔走した女性作家、Sさんのことが頭をかすめた。
 考えてみると介護者のがんは、周囲を見回すとごく普通にある。特に認知症患者の介護者ががんに罹患するケースの多さについては、そのストレスを考えれば驚くには当たらない。
 しゅうとを自宅で看ていたお嫁さん、母親を介護していた娘などが、被介護者より先に亡くなるのは、珍しいことではなく、つい最近も、友人の妹さんが実母を見送った後に亡くなり、四十九日法要を母娘、一緒に執り行った。ワーカーさん、民生委員さんと話していてもそんな例はいくらでも出てくる。
 年寄りを自宅で看ていれば、要介護度に関わりなく、自分の体調は二の次、三の次になる。家に一人置いていくわけにはいかず、かといって自分が検査を受けたり治療するために遠方の病院に同行させるのも難しい。
「病気が見つかって入院とか言われると、おばあちゃんを看る人がいなくなるので、いくら具合が悪くてもお医者さんには行かない」と当たり前のように語った知人もいた。
 政策上意味がないと見なされるのか、こんなことは表には出ないし、話題にもならない。
 高齢化が進み、寿命が尽きた後も死なせない医療技術だけが発達し、その一方で医療福祉関連の支出がふくれあがる中、負担を丸投げされた家族が形ばかりの公的支援の中で疲弊し、病み、次世代を巻き込んで崩壊していく。少子高齢化ばかりが元凶とされる問題だが、人も他の生き物と同様、生きて、寿命が尽きて死に、次世代に取って代わられる存在だ。その当たり前のことが忘れられ、自然な生死のサイクルが歪められている。その先にあるのはまさにディストピアだ。

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。最新刊は『鏡の背面』。
撮影:露木聡子

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