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「阪大みたいなもん、俺は三位で受かるっちゅうことや!」マウント気質が強い〈非リア王〉遠藤【学歴狂の詩 第17回】

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力を見せつけるために阪大模試を受ける

 遠藤のことは、この連載が始まった時点で必ず書こうと考えていた。私は遠藤のことが好きで、実はこの連載の第十一回、数学ブンブン丸・片平の回で私が人生初の合コンに誘ったもう一人の男というのが、何を隠そうこの遠藤なのである。

 遠藤とは高校時代にはじめて出会ったわけだが、もともとマウント気質がすごい男で、どのような話題からでも何とか人にマウントを取ろうという言動が目立った。隙あらば人の上に立とうとするその姿勢は、もはや「マウント柔術」黒帯と言ってもいいほどだった。私の高校はある面では人間教育に成功していたのか、マウントを取るという行為の方がダサいという意識がほとんどすべての生徒に共有されていたため、遠藤はクラス中から「人間としての器が小さい」「世界最小」と笑われ、いつもその言動をイジられていた。

 私がはじめに驚かされたのは、遠藤が「地価」の話で私にマウントを取ってきた時のことである。遠藤は京都府亀岡市の出身で、ずっと滋賀民だった私にはピンと来ていなかったが、亀岡は田舎代表として京都市民や大阪府民からよくネタにされていた。それは小馬鹿にされた遠藤がいつも「亀岡のここがすごい!」と帝〇平〇大学ばりの勢いで反論プレゼンを始める姿が面白いからで、誰も本気で亀岡のことを下に見ていたわけではなかった。というより、遠藤のいる半径一メートル程度のところだけが架空の「亀岡市」と化し、その場所だけの評価が下がっていると言ってもいいほどであった。

 ある日、遠藤は新聞だったか雑誌だったかを学校に持ちこんできて、地域ごとの地価が書いてある部分を「勝訴」と書かれた紙のようにかっ開き、「亀岡市より佐川の能登川町(現東近江市)の土地のほうが安い!」と〇京平〇大学ばりの勢いでみんなに力説して回ったのである。私が遠藤の新聞を見た当時の記憶では、当然ながら亀岡より私の地元の地価のほうがかなり安く、さらに言えば滋賀の新宿とも言われる大都会・草津市の地価ですら亀岡より安かった。しかし、その野蛮な行為によって亀岡の地位が上がることはもちろんなかったし、能登川や草津が田舎として笑われるようになることもなかった。そもそも争いは、ある程度力を持ったもの同士の間でしか成立しない。京都市民が亀岡市民を馬鹿にしたり、高槻市民が枚方市民を馬鹿にしたりすることの中には、良いか悪いかはさておき笑いの萌芽が確かにあるだろう。だが、京都の亀岡人が滋賀の能登川人を馬鹿にしたところで、それは単なる虚無なのである。

 まず一つ目の遠藤のヤバさというのは、そうした虚無をまったく理解しないところにあった。私を含む滋賀の人間たちが自分の地元が田舎だという事実を理解していないわけはなく、遠藤に地価が安いだのなんだの言われたところで「そら安いやろ」としか思わないわけだが(滋賀人で「田舎者」と言われて本気で怒る人間はまずいないだろう)、京都や大阪のクラスメイトたちは遠藤の行動に引いていた。

 さらに、遠藤は京大経済学部を目指していて、阪大を受ける人間のことを明確にゴミだと考えていた。確かに私たちは、京大と阪大の間にはベルリンの壁以上の隔たりがあるという強烈な洗脳を受けていたが、だからと言って阪大を貶めようとはしなかった。そんな行為自体がダサいと考えられていたこともあるし、そもそもそれどころではなかったからである。私たち京大志望者は京大だけを見つめており、実際に阪大の過去問を解いたり阪大模試を受けることもしなかった。それが普通のことだったのだ。

 だが遠藤は違った。現役時代、遠藤の京大経済の判定は大体C程度で、わりと早期に阪大志望に切り替えた人間から「お前も阪大にしたほうがええんちゃうの笑」などと煽られていた。それは阪大をゴミと言い切る遠藤を揶揄する冗談的なイジりだったわけだが、そこで本気でブチギレた遠藤は、なんと自身の力を見せつけるべく、阪大実戦だかオープンだかの阪大模試を本当に受けに行ったのである。おそらくだが、東大・京大志望を最初から最後まで貫いた人間で、わざわざ阪大模試を受けに出向いた人間は日本の歴史の中でもかなり珍しいのではないだろうか? 受験界隈に身を置いていない方には伝わりづらいかもしれないが、これは相当な異常行動なのだ。

 そしてその結果、遠藤は阪大経済学部で全体三位の成績を残し、成績優秀者の冊子に見事その名を刻んだ。

「見てみろ! 阪大みたいなもん、俺は三位で受かるっちゅうことや!」

 遠藤は教室で吠えていたが、まともに取り合う者はいなかった。私も相手にしなかった。だが、遠藤は周囲の反応など関係なく、阪大模試三位をまるでオリンピックの銅メダルかのように自慢し続けていた。そして受験本番、遠藤はどうなったかというと、なんと滑り止めで受けた同志社経済にクラスの京大志望者として唯一落ちるという、信じられない結果を叩き出した。私たちにしてみれば、阪大をあれほどこき下ろしていた人間が同志社に落ちたというのは、ほとんどバラエティ番組のヤラセでも許されないような神展開だった。私たちはその後何年にも渡って、遠藤の同志社落ちを肴に最高の笑顔で酒を飲み続けることになった。その伝説の同志社落ちは何度も話されるうちに古典落語のようになり、私がセンター試験の自己採点中に教室で号泣した話と同レベルの鉄板ネタとして、長く愛され続けることになったのである。

 しかしもちろん、遠藤は受験的にはアホではない。阪大模試の経済部門銅メダリストなのだから当然だが、同志社に落ちた理由は何やらゴチャゴチャ言い訳をしていてダサかったものの、京大に現役合格する可能性は低くなかった。彼は高校でも文系上位の常連だったし、センターも私のようにはコケていなかったからだ。そうして高三の京大本番を終え、センター失敗を取り戻すほどの爆発はなかったと感じ抜け殻のようになっていた私に向け、遠藤は「こら受かったわ!」と笑顔で言った。どうやら全体的に失敗もなかった上に数学がかなり解けたようで、私はその自慢気な話を聞かされながら「まあ、こいつは受かったっぽいな」と思っていた。

 その後、私は京大の合格発表を現地に見に行って、自らの敗北を知った。キャンパスにそびえたつ時計台が、私のすべてを賭した勝負の結末をあざ笑っている気がした。大体わかっていたとはいえやはり落胆していた私だったが、ついでにクラスの他の文系仲間の受験番号を確認していると、なんとただの一つも番号がなく、つまり遠藤の番号もなかった。情けない話だが、私は遠藤が落ちたことで少し活力を取り戻したのを覚えている。しかも驚くべきことに、合格を確信していた遠藤は合格発表に自分の母親と祖母を連れて行っていたらしく、不合格と知った祖母が泣き出してしまったという話を聞き、私は不謹慎ながら爆笑してしまった。そして完全に精神的な復活を遂げたのだった。もう一年やったろうやないかという前向きな心が、遠藤の祖母の涙によってムクムクと起き上がってきたのである。

 現役当時の私はセンターで法学部のボーダーマイナス三十点となり、成績開示でもそのまま三十点足りず余裕で落ちていたわけだが、遠藤の方はなんと一・五点差で落ちており、もう一人受かると目されていた友人に関しては、法学部に三点差で落ちていた。その二人を含めたクラスメイトで話していた時、恐ろしいことがわかった。遠藤は京大二次の地理の記述で「地盤沈下」という言葉を二回使ったらしいのだが、その「盤」の漢字を間違えていたのだ。漢字ミスは一点引かれると言われていたから、それだけで二点を失ったことになる。もともと遠藤はなぜか漢字がひどく苦手だったのだが、まさかそれが決定打となって落ちるとは思っていなかったようで、ひどく落ち込んでいた。遠藤の不合格はサッカー日本代表のドーハの悲劇にちなんで「地盤沈下の悲劇」と呼ばれた。こうして浪人した遠藤は、今度は京大に足りなかった点差の大小によって私(や他の浪人生たち)にマウントを取ろうとしていたが、その瞳にはそれまでにはなかった悲しみが宿っていた。何点差だろうが落ちれば同じ――そんな冷酷な現実を遠藤も明らかに認識しながら、もはや「キャラ」としてピエロを演じ続けているのだということが、その頃の私たちにはわかっていた。

 さて、遠藤が非リア王となる過程を説明するのには、どうやら連載一回分では足りなかったようである。私の浪人生活についてはすでに何度か話したが、次回、遠藤との関係を軸としてそれらを語り直しながら、大学から社会人初期まで、私たちが一般社会になじむためにどのように悩み苦しんできたかということをお伝えしたいと思う。そして男子進学校の弊害を、世間のみなさんにきちんと認識しておいてもらいたい。もちろん男子進学校が悪いと言っているのではない。そこには同じ目標を持ち切磋琢磨し合える仲間や、自分をいい意味で刺激してくれるとんでもない天才がきっといるだろう。そこで過ごした結果、受験的な成果がついてくる可能性が高まることも間違いない。

 だが、「偏差値が高いから」という理由だけで男子進学校を選ぶことには大きな危険が伴うということを、これから中学高校に入る人やそのご両親にもよく知っておいていただきたいのである。私たちの母校出身のとある国会議員が、小規模な講演会でわざわざその危険性について熱く訴えかけていたという噂も回ってきているが、すでに社会的成功を収めた当選しまくり国会議員でさえ講演でそんな話題を出さずにいられないほど、そこには大きな罠が潜んでいるということなのである。彼は男子校で過ごしてしまった後の人格形成の難しさを長々と語っていたらしいが、私も自分なりに私の経験に則し、そして非リア王と化してしまった遠藤に引き続きフィーチャーしつつ、それを語りたいと思う。そして読者のみなさんには、その声を踏まえた上で改めて真剣に考えてみてほしいのである。あなたが進むのは、あるいはあなたの大切な子供が進むのは、ほんとうに男子校でいいのかということを……

 次回、連載最終回は11/21(木)公開予定です。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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