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「阪大みたいなもん、俺は三位で受かるっちゅうことや!」マウント気質が強い〈非リア王〉遠藤【学歴狂の詩 第17回】

稀代のカルト作家として人気を集める佐川恭一さんによる、初のノンフィクション連載。
人はなぜ学歴に狂うのか──受験の深淵を覗き込む衝撃の実話です。

前回は、佐川さんが『ルックバック』(藤本タツキ著)を読んで思い出した旧友を紹介しました。
今回は、「非リア王」と呼ばれた強烈な人物のエピソードです。

また、各話のイラストは、「別冊マーガレット」で男子校コメディ『かしこい男は恋しかしない』連載中の凹沢みなみ先生によるものです!
お二人のコラボレーションもお楽しみください。
イラスト/凹沢みなみ
イラスト/凹沢みなみ

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「仲良くなれそう」と思った相手は、一人残らず男子校出身者だった

 もはや珍種のアラフォーこじらせ学歴厨となった私に最近の事情はわからないが、少なくとも二十年前、私たちの時代の男子進学校――特に真のトップ校に追いつくべく躍起になっている段階のいわゆる自称進――というのは、間違いなく人格形成の面で良い環境とは言えなかった。もちろんその受験バーサーカー養成所的な環境が異様に偏った人間を生み、その偏りの極端さによって社会で常人には手が届かないほど圧倒的な力を発揮しているケースもある。しかし、基本的にはやはり青春時代ど真ん中の時期、よその一般的な共学の人間たちが部活に打ち込んだり、友人らと時を忘れて遊んだり、気になる異性とデートをしたりと人間としての大切な経験をたくさん積んでいく中、ただひたすら机にかじりつくことを命じられて「そろそろ確率漸化式が出るのでは?」「今年もちゃんと擬古文が出るのだろうか……」などということばかりに頭を悩ませていた人間というのは、額に同類を引き寄せる珍妙なしるしを刻まれ、それが長く、下手をすれば一生残ってしまうものなのである。自慢ではないが私が京大に入ったばかりの頃、誰がどこの高校の出身かもわからず集団で話していた時、「こいつとは仲良くなれそうだな」と直感で思った相手は、一人残らず男子校出身者だった。

 誰にでも想像できることだろうが、私を含め男子進学校生というのはやはり女性への苦手意識というのが異様に膨れ上がり、その後の人生に支障が出るケースが多い。多すぎる。もしくは、反動でクソみたいなヤリ〇ンになるケースも多い。これも多すぎる。この話は男子校出身者たちにかなり同意を得られると思うのだが、なぜか真ん中ぐらいの奴が少ないのである。「アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で説いた中庸の精神ってのはつまり……」とかなんとか語っている男子校出身の文学部生もうじゃうじゃいたが、それを知識として知っていても実践することができている者は皆無であった。「超過」や「不足」を避けてものごとの「よさ」を保全するべきだというのがアリストテレスの思想のはずだが、男子進学校出身者を観察すればその難しさがよりよくわかるだろう。そして私の分析では、反動でヤリ〇ンになるタイプも、芯の芯のところで女性が苦手なのだ。男子進学校ヤリ〇ンは、青春時代に築かれた自分のコア、それもまず破壊は不可能だと頭のどこかでわかっている強靭なコアを破壊するために、本来はもっとも向いていないストリートナンパなどの激しい「自傷行為」に走っているのである(注:筆者の主観です)。

 私はこの連載の第十二回で、駿台京都南校の京大文系コースで帰国子女の可愛い女の子と一緒に表彰されたものの、その子の英語力を卑怯だと感じて恋愛対象どころか敵認定していた、という話をしたが、それは英語の問題ではなく、女性への苦手意識が大きくなりすぎたあまり敵意に転じてしまったのだと説明することもできる。これはミソジニーなどという言葉で簡単に片づけられるほど単純なものではない。世の中の「賢い」人たちは何らかの認識や現象に呼び名を付けることによって物事を整理し、また大衆にも何かを理解できたような気にさせるが、それが社会的に広がる過程において、その言葉の使用法は雑なものにならざるをえない。そして雑な形で使われ続けるうち、もとの「賢い」人たちですら大衆の作った大きな潮流に流され、その厳密性を失った言葉の中で踊り始めるようになってしまう。

 話が逸れたが、予備校時代の私は女性に複雑な感情を持つのと同時に、女性と仲良くしている男へのシンプルな敵意が際限なく高まっていくのを感じていた。こうした「色男」への敵意は友人同士のあいだで広く共有されていたので、私の印象ではわりと一般的なものだったのだが、実はそんな意識を持っている時点で、その人間は「学歴狂」としては小物だと言わざるをえない。たとえば私が見た本物の学歴狂の一人、東大文一原理主義者の内山は、異性と関係を持ちたいとか、女性と過ごしている男への憎悪とか、そういうものとは一切無縁の高みにいた。

 彼が唯一敵視していたのは、自らがかつて敗北した中学受験戦争の勝者たち、つまりは同じ高校にいた「内部進学組」だった。私のように中学受験がハナから頭になく、迷いなく高校から入った人間にはわからないことだが、内山は自分が中学受験で某R中よりも下のレベルの中学に落ちたことをまるで大きな戦争に負けた悲劇の記憶のように語り、普通にしていれば接することはなかった「内部進学組」の模試の成績をつねにチェックしながら、自らを東大文一現役合格に向けてストイックに鍛え続けていた。彼が受験に向けたガソリンとしていたのは、とにかく純粋に東大文一に現役合格して官僚となり日本の発展に貢献したいという内的な熱意と、内部進学組に対して捲土重来を期すという誇り高き戦士のプライドであり、それはすべて「受験」の中で完結していた。彼の瞳に宿っていた炎の中に、異性がどうこうなどという「低次元」な欲求の混入する隙間はなかったのだ。これこそ本物の学歴狂というものであって、私のように「リア充」(もはや死語となった感があるが、リア充という言葉を私たちは非常によく使っていた)を仮想敵とし、彼らを叩き潰すような意識を少なからず持って机に向かっているようでは、学歴狂としての純度は低いと言わざるをえない。

 ただ、低次元とはいえ私の憎悪は私を自習室ブースに長時間向かわせるだけの現実的な力を持ってはいたし、他の某R高生の中にも似た意識を持っていた者が少なくなかった。つい興奮して前置きが長くなってしまったが、今回はその中でも「リア充」の存在を徹底的に敵視しその根絶を夢見ていた、そして同時に女性への憧れを病的に持ち続けていた某R高の同級生、「人類最小の男」あるいは「非リア王」の別名を持つ遠藤を紹介したい。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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