よみタイ

京大でも別格の頭脳を持ち学問の面白さを教えてくれた中村さん【学歴狂の詩 第15回】

まるで自分の思想のように血肉にしていくことができる才能

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 ちなみに私は同じ講義で「ジャン・ボードリヤール」という学者について解説することになった。ボードリヤールの代表作は『シミュラークルとシミュレーション』や『消費社会の神話と構造』という本で、映画『マトリックス』のウォシャウスキー監督に強い影響を与えた学者らしいのだが、タイタニックすら観ていなかった私はマトリックスも観ておらず、その発表のために観る気力もなかった。前知識なしで担当範囲の英文を読むとあまりにもチンプンカンプンで、多少インターネットで調べてみても何を言っているのかわからず、私の訳は高一の生徒が京大入試の英文をはじめて読み、辞書で単語だけ調べて訳したかのようなゴミになってしまった。その時期は就活も重なっていて忙しく、本番ではしょうもない逐語訳を披露した上で「シミュラークル」と「シミュレーション」についての雑な解説だけをして終わった。

 一応簡単に言っておくと、シミュラークルとは実在するオリジナルをシミュレーション(記号化)して作られたコピーのことであり、それは三段階のステップで発展していく。第一段階ではオリジナルとシミュラークルは明確に区別されるが、第二段階では複製品を大量生産することが可能になり、二者の区別が曖昧になってオリジナルの価値が希薄になる。そして第三段階ではシミュラークルはもはやオリジナルを必要としなくなり、シミュラークルがシミュラークルをシミュレーションし続け、シミュラークルのみの世界になっていく、という話だった(はずである)。今振り返れば生成AIなんかの話を相当先取りした面白い議論だったように思えるのだが、当時の私にはマジで意味不明だった。

 私の単に訳しただけのクソ発表が終わると、お通夜のような空気になっているのが肌でわかった。思わず「あ、誰か死にました?」と聞いてしまいそうな静けさが講義室に立ち込めた。教授は「まあいまの訳は、それはそうなんですけど……」とどこから補足していいのかめちゃくちゃダルそうな様子だった。そんな中、なんと中村さんは「ボードリヤールは私、高校のときに『完全犯罪』って本を読んだことがあって、あ、それは邦訳なんですけど~」と話し始め、ボードリヤールについて私に代わってわかりやすく説明してくれ、場の空気をさっと明るく戻してくれたのである。私のせいで「ハズレ回」になりそうだった特殊講義が一気に息を吹き返すさまを見て、私は中村さんに恋に落ちたと言ってもいいほど感激した。そして、私は中村さんがいずれ国家を代表する学者になることを確信したのである。

 私は大学にいるあいだ、小説はかなり読んだものの、学問的な小難しい本はほとんどスルーしていた。そして、小難しい本をちゃんと読んで理解できている人間を見ても、まったく尊敬しようとしなかった。それどころか、「あいつ、小難しい本を読める自分に酔ってんなー笑」と思っていたのだ。そこにはもしかすると、田舎で受験勉強ばかりしていた自分の頭が、高度で抽象的な議論についていけるほど優れていないことへのコンプレックスもあったのかもしれない。というか絶対あったのだが、当時はそんな自分の深層心理に目を向けることもなく、大学で本気で学問しているやつのことを小馬鹿にする気持ちが強かった。普通は中高時代あたりで「ガリ勉」をイジるような文化があって、その後そういうノリを卒業していくものだと思うが、高校時代は周りの全員が(世間一般と比べれば)ガリ勉だったためイジるもくそもない状態だった。そのせいか、なんと私にはその幼稚なノリが大学に入ってから顔をのぞかせ始めたのである。インテリっぽいやつがカッコイイ発表をしても、大体眠いなと思っていた。つまり、自慢ではないが、当時の私に学問の話を聞かせるのは至難の業だったのである。その心理的な防壁をいとも簡単に破壊してしまった中村さんの言葉の一つ一つには、おそらく並の人間にはない本物の「実感」が乗っていた。表現が難しいのだが、彼女は一人の学者の本を読んで、その学者の言葉を読み取って解釈するというよりは、学者と同じ思考の軌跡を自分の頭にかなり正確にたどらせ、まるで自分の思想のように血肉にしていくことができる才能を持っているのではないかと思った。

 彼女自身、今ではかなり地位のある学者になっており、何冊か著書も出版されている。あの小さな講義室で、少ない人数を相手に全力の熱弁をふるってくれていた彼女は、もう私の手の届くところにはいない。私が京都大学で本当に衝撃を受けたのは、この中村さんただ一人だったと言っていい。私の社交性が絶望的だったため、触れ合った京大生が少ないせいもあるかもしれないが、真の意味でこの人は学問をするように生まれついている、と思わされた学生は他にいなかった。

 もちろん、別の専修でも噂になるような天才はおり、やはり当時名前が流れてきていた人は現在大学の先生になっているケースが多いようである。そういう「本物」に触れ合う機会は貴重なもので、私のように大学でサボらなければ、そうした機会はおそらくもっと豊富にあるだろう。サボったことによって捻出した虚無の時間に得たものもたくさんあるが、私は大学の勉強を真面目にやらなかったことを基本的には後悔している。どのぐらい後悔しているかといえば、社会人大学院に入った人の本を買って「社会人大学院、入ろうかな……」と二年ほど悩んだぐらい後悔している(時間とお金がなく断念)。読者のうちこれから大学に通うみなさんは、ぜひ大学の授業というものを大切にしてほしい。その講義室で学ぶ時間が人生においていかに特別なものなのかということは、卒業してひと月もしないうちに痛いほど思い知らされるだろう。

 次回連載第16回は9/19(木)公開予定です。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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