編集者、ライターとして、公私ともに忙しく過ごしてきた。
それは楽しく刺激の多い日々……充実した毎日だと思う。
しかし。
このまま隣室との交流も薄い都会のマンションで、
これから私はどう生きるのか、そして、どう死ぬのか。
今の自分に必要なのは、地域コミュニティなのではないか……。
東京生まれ東京育ちが地方移住を思い立ち、鹿児島へ。
女の後半人生を掘り下げる、移住体験実録進行エッセイ。
2022.4.23
料理嫌いの女の畑に、次々と野菜が実を結ぶ

畑も黙り込む、寒暖差激しい霧島の冬
移住先に鹿児島を選んだ理由のひとつに、雪が滅多に降らないことがあります。
豪雪地帯には名湯が多く、寒風吹きすさぶ雪のなかを進んだこともありますが、子どもの頃から慣れ親しんでいる人には日常でも、大雪で大騒ぎになる東京で育った私にはハードルが高すぎます。自然は甘くない、遭難を経て得た教訓です。
鹿児島に移住したというと、火山灰を心配されます。私が住んでいる地域ではほとんど降りませんが、鹿児島市内に住む親戚からは、火山灰が降る日はみんな傘を差し、そこに雨が降った日は最悪。洗濯物は外に干せない、黒い車は選んではいけない……と、以前から桜島との共存について話は聞いていました。
雪が降っても、火山灰が降っても、それでもやっぱり、そこで暮らす人たちがいる。生まれた場所や縁というものは、時に合理的であることを凌駕します。過去には、「各地で独自の文化が生まれて、価値観が合う場所にみんな移っていけばいいのに」なんて安易に考えた時期もありますが、この歳になると、たまたまそれができる状況にある人間の戯言だと気づかされます。
以前、霧島温泉郷に旅行で来たとき、たまたま大雪の日に出くわしたことがあって、霧島の冬がそれなりに寒いことは知っていました。私が住んでいる山側の道路は凍結する日もあると聞いています。
ましてや、私は部屋を仕切る壁を全部取っ払ってしまったため、家の中が寒いことは必至。私の部屋を見た人たちは皆、「冬は大丈夫?」と心配を口にしました。
しかも、私が住んでいる地域は標高が高いこともあって、朝と夜の寒暖差が激しく、昼間は小春日和にウキウキしていたのに、夜になると猛烈な寒気に包まれる日も。寒波が訪れる前日は、市から水道管が凍結したときの連絡先がアナウンスされました。
最初は、憧れの灯油ストーブを2、3台置こうかしらん、と安直に考えてとりあえず1台導入したものの、今年は灯油代が爆上がり。しかも、灯油缶18ℓ×2をえっちらおっちら運んでも、あっという間に空になります。この作業を何歳までできるんだろう、女ひとりの限界を突き付けられた気がしました。
薪ストーブは部屋が暖まるまでに2時間もかかると知って諦め、東京で重宝していたガスストーブはプロパンガス代に怯えて諦め、渋々灯油ストーブ1台とエアコン2台で乗り切ることにしました。
秋に張り切って苗を植え、種を蒔いた畑でしたが、冬の間は本当に静かでした。野菜たちはゆっくりゆっくり育ってはいますが、劇的な変化は見られません。雑草もさほど伸びることなく、たまに混んでいる葉を間引く程度で、寒さもあって畑は冬のあいだほぼほったらかしでした。ぐうたら初心者の本領発揮です。
最初に食べられる状態に育ったのは、ルッコラでした。恐る恐る葉をちぎって口に入れてみると、ルッコラ特有の辛みと苦みがちゃんとあって、何よりとんでもなく新鮮でした。
以前、結婚していた時に、マンションのベランダでトマトを育てたことがありました。東向きの部屋だったからか、実はふたつしかならず、とは言え食べてみようとなったとき、ふたりとも口に入れるのを本能的に躊躇しました。
スーパーで売られているトマトは平気で口に入れるのに、自分で育てたはずのトマトは、なんだか毒でも盛られているような。軟弱な都会っ子ふたりは、パックに入ったトマトしか知りません。
結局食べてはみましたが、美味しいのかよくわからないねと言い合い、その後、野菜を育てることはありませんでした。
でも、目の前でニョキニョキと生えているルッコラは、明らかに美味しい。プランターと畑の違いなのか、日当たりの違いなのか、土の違いなのか、その理由はいざ知らず、こんなものが毎日食べられるのかと思ったら、春の訪れが余計待ち遠しくなりました。
その後、ベビーリーフとサラダほうれん草が育ち、毎朝葉っぱを摘んでは、近所の定食屋のオリジナルドレッシングをかけて食べるのが日課となりました。