よみタイ

カップ麺中毒の男、自炊はじめました。今日が私たちの「卵焼き記念日」です。

 話し合いの末に決まったルールは以上の3つ。

1:夕食は必ず一緒に食べること
2:料理は恋人が、後片付けは私が担当すること
3:出された料理はなるべく残さず食べること

 仕事で疲れているはずなのに、帰宅してすぐに恋人は料理の仕込みを始める。私の苦手な食材を細かく切り刻み、原型がわからないぐらいの大きさにして料理に加えるというひと手間をかけてくれる。
 栄養のこともしっかり考え、野菜、肉、魚、デザートをバランス良くメニューに加えている。私好みのちょっと甘めの味付けもありがたい。そして何より、彼女の料理はどれもほっぺたが落ちそうになるぐらい美味しい。

「美味しいって言って食べてくれるだけで嬉しいよ」と彼女は喜ぶが、もっと他に何かできることはないものか。そこで私は、昔よく作っていた〝だし巻き卵〟を久方ぶりに作ってみようと思い立つ。
 白だし、味の素、砂糖を加えてよくかき混ぜた卵を、卵焼き専用の四角いフライパンの上に落としていく。焦げがつかないうちに形を整え、フライパン返しで慎重に慎重に卵焼きをひっくり返す。うん、ブランクがある割にはなかなかの出来栄えだ。

 味見をしようとしたところを「も~らい!」と恋人が横からつまみ食い。「うまい! うまいじゃん!」と賛辞を述べた後、彼女は両手を鳥のように羽ばたかせながら、両膝を曲げて丁寧にお辞儀をする。バレエダンサーがよくやる〝レヴェランス〟と呼ばれるお辞儀の方法である。幼い頃にバレエを習っていた彼女なりの最大級の賛辞を伝えてくれているのだろう。その瞬間、私の中で何かが爆発した。

 自分の作った料理を美味しいだなんて言ってもらえたのはおそらく生まれて初めてじゃないか。経験したことのない喜びと彼女への感謝、これからの二人の新生活への期待と不安、あらゆる感情がごちゃ混ぜになって、私はボロボロと大粒の涙を流してしまう。
「えぇ……やめてよ……卵焼きが美味しいって言われたぐらいでいいおっさんが泣かないでよ。ちょっと引くわ」と憎まれ口を叩く彼女の目にも涙がキラリと光る。お互いに四十を過ぎた中年カップルが、卵焼きひとつで抱き合ってワンワンと泣いている。なんていびつで素敵な光景だろうか。

 なんとなくわかった。料理って体に良いなものを食べることが大事なんじゃなくて、食べた人の心を健康にするものなんだな。
 私はどうしても期待せずにはいられない。この先どんどん上達していくであろう私の料理の腕前と、これからの二人の愛溢れる食卓に。
 小さな幸せを噛みしめながら、ゆっくりゆっくり丁寧に生きていこう。何度も何度も卵焼きをひっくり返していこう。愛する人のために卵焼きがうまくひっくり返せた今日は、私たちにとっての「卵焼き記念日」だ。

(イラスト/山田参助)
(イラスト/山田参助)

当連載は毎月第2、第4日曜更新です。次回は2月12日(日)21時配信予定です。お楽しみに!

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爪切男

つめ・きりお●作家。1979年生まれ、香川県出身。
2018年『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。21年2月から『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、『働きアリに花束を』(扶桑社)、『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)とデビュー2作目から3社横断3か月連続刊行され話題に。
最新エッセイ『きょうも延長ナリ』(扶桑社)発売中!

公式ツイッター@tsumekiriman
(撮影/江森丈晃)

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