2022.9.11
一本の炭酸飲料で救われる人生だってあるんだよ。
それからの私の人生は、常に炭酸飲料と共にあった。大学受験に失敗したときも、心から愛した女をクラブのDJに寝取られたときも、高速道路で玉突き事故に巻き込まれたときも、消費者金融で多額の借金をしたときも、いつだって私は炭酸飲料を一気飲みして人生の苦難を乗り越えてきた。
恋人、相棒、親友といっても差支えのない唯一無二の存在。三十年以上も苦楽を共にしてきた炭酸飲料とお別れをしないといけない。こいつは何も悪くないのに。ただ、私が愛し方を間違えてしまっただけなのに。
百歩譲って、炭酸飲料が健康に悪いとしても、人が長く辛い人生を生き抜いていくためには、多少の毒を取り込む必要がある。一本の炭酸飲料で救われる人生だってあるんだよ。私が炭酸飲料に何度も命を救われてきた事実だけは誰にも否定させやしない。ああ、これはまだ長い旅の途中と考えよう。一刻も早く体調の乱れを整え、再び炭酸飲料を美味しく飲めるその日のために、しょっぱい汗と涙を飲み込み、今だけは炭酸飲料にサヨナラを。
そう心に固く誓ったはずなのに、何か嫌なことがあるたび、いつものように炭酸飲料に手が伸びてしまう。きちんとお別れをすることもひとつの愛の形と言えるのに。このままではいけない。失恋の痛手は新しい恋でしか癒せないのだ。何か別の飲み物と熱く燃えるような恋をしなければ。
そこで私は、友人や行きつけの飲み屋の主人に頼み込み、今まで口にしたことのない未知の飲み物を開拓してみることにした。約束事として「コーン茶」とか「ハス茶」といった名称や味の特徴などは内緒にしてもらう。事前に情報を仕入れてしまうと、それを頼りにおおよその味を予想してしまい、純粋な初体験ができないからだ。
ちょっと怪しい漢方のお茶からサソリのエキスが配合されたエナジードリンクなどさまざまな飲み物を口にしたが、これといってピンとくるものはなかった。
運命の出会いなんてそうそうあるもんじゃない。そう諦めかけていたある日のこと。出会い系で知り合った四十代女性が経営する高田馬場のスナックへと私は足を運ぶ。彼女と会うのは今日が初めてだ。
金曜の夜九時を回ったというのに店内にお客は私のみ。どうやら、お店の営業活動の一環として出会い系を利用しているらしい。
「一杯食わされたな……」と思いつつも、これも何かの縁だろうと、彼女のおすすめのドリンクをリクエスト。
明らかに面倒臭そうにしながら「はいよ」と彼女が差し出した茶色の液体。それを口に運び、私は食い気味に彼女にたずねる。
「ねぇ、これ……なんて飲み物?」
「え? ただのルイボスティーだよ。南アフリカのお茶だっけかね」
「ル……ルイ……ルイボスティー?」
「ん? どうしたの?」
「今まで飲んできたお茶の中で一番美味い!」
私とルイボスティーの大恋愛は、場末の小汚いスナックから始まった。
さよなら炭酸飲料、こんにちはルイボスティー。
当連載は毎月第2、第4日曜更新です。次回は9月25日(日)21時配信予定です。お楽しみに!
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