2019.12.23
その数9回! “情熱の薔薇”のついた自転車で選挙に出続ける「ホームレス路上演奏家」
負けても負けても立候補する理由とは!?
みなさんの頭の中には、すでに情報の大洪水が押し寄せていると思う。しかし、激動の人生はまだまだ続く。
武田がホームレスになったのは、都議選の翌秋、2018年10月のことだ。都会で小さな生態系を形成していた武田のジャングルは、行政代執行で取り壊されてしまった。
家の所有者は武田の親族だった。武田は長年に渡って家賃を支払い住んできたが、契約満期による解除を告げられた。親族から明け渡しの裁判を起こされ、一審後に代執行が決行された。そして武田は住処を失った。
自宅取り壊しの前日、私の自宅ポストには武田からの手紙が届いていた。
「ついに家がなくなります」
大丈夫なのか。しかし、電話やEメールなどの連絡手段を持たない武田と連絡は取れない。手紙を送っても、届く頃には家がない。
悶々とする日々を過ごした後、武田の自宅があった場所を訪ねた。家は跡形もなく撤去されて更地になっていた。ぶどうの木もない。敷地の境界には黄色と黒の虎ロープが張られ、「立入禁止」の札がかけられていた。
しかし! 旧宅前の道路には、以前と変わらぬ光景があった。ブルーシートの下には武田の自転車が停まっていた。自転車のハンドルには赤いバラが飾られていた。決して枯れない情熱の薔薇(造花)。2019年3月、武田はここを「選挙事務所」として届け出て、台東区長選に立候補した。
小学校の体育館で開かれた個人演説会では、以前と同じように演説の合間にピアノを弾いた。武田はしきりに「誰か演説して下さい」「誰か弾きませんか?」と呼びかけた。
会場に集ったのは10人ほど。誰も手を挙げないだろうと思っていたら、最前列に座る女性がまさかの立候補をしてピアノ演奏を披露した。女性の弾くピアノの調べは、残酷なことに「演奏家」の武田よりも上手かった。
はたからみれば勝ち目がないとも思われる戦いに、なぜ武田は出続けるのか。
「11回でも12回でも13回でも最下位落選を続ける。そういう人が世の中にはいたんだ、という記録が作れるんじゃないか。そして、最後も落選する。武田完兵は落選して死んで行ったと後世に残してほしい」
武田が語る近未来。しかも、現実になってしまいそうな予想図に私は絶句した。その姿をみた武田は前言を翻した。
「やっぱり最後だけ脚色して、当選するという小説にして下さい。面白いと思いますよ」
2019年12月。武田は旧自宅前に置いていた荷物や自転車も撤去しなければならなくなった。裁判に負けたのだ。それでも武田はまだ立候補を諦めていない。
武田から送られてくる手紙やファクスには、頻繁に「夢」という言葉が登場する。自分の手で「夢」と書かなければ、すべての希望を失う。そんな思いが伝わってくる。
いま、私の手元には武田から送られてきたメッセージが100枚近くある。ふと手に取ったファクスには、見慣れても読みにくい手書き文字でこう書かれていた。
「路上演奏を再開しました。江戸通り沿いJR浅草橋駅東口銀杏岡八幡入口前角です」
「ただ失望と夢とくり返してます。小学生や知らない人にあいさつを受け、投げ銭が若干。嬉しいこともあります。夢」
別のファクスには、こんな言葉もあった。
「次は4年後です。生きていれば」
(文中敬称略/次回は1月6日月曜夜9時配信予定です)