2019.12.9
『日本列島全員立候補』か『日本列島全部無投票』か。どちらの未来を望むのか?
スポーツ同様、政治も競技人口が増えればレベルは上がる
『日本列島全員立候補』──。
もしも私が小説を書くことになったら、タイトルはこれにしようと決めている。被選挙権を持つ日本国民全員(公務員除く)が選挙に立候補し、誰もが当選を目指して悪戦苦闘するストーリーだ。
きっと、どこの出版社からも出ない。でも、日本国民全員が立候補したらどうなるのか?
まずは立候補の届け出自体に時間がかかるため、選挙管理委員会の前には順番を待つ徹夜組の列が出現する。届出順を決めるくじ引きも一苦労だ(くじ引きの順番を決めるくじ引きもあるため2回行われる)。選挙ポスターを作る印刷業者も立候補するから、各々が自撮りのポスターを作り、自宅のプリンターで印刷することになる。
街中に設置されるポスター掲示板は、「万里の長城」のように延々と続く長い壁としてそびえ立つ。自分のポスター掲示場所を探すのが面倒になり、他人の掲示場所に貼ってしまう人も多数出現する。人のポスターを勝手に剥がすことはできないから、まずは選管に連絡し、間違えて貼った人がポスターを剥がすのを待たなければならない。自分の場所が空いた時にポスターを貼るのも自分自身だ。
街中を走っているのは、パトカーか手作りの選挙カーしかない。選挙カーが選挙カーに向かって「うるせえ」とマイクで言い合う。
駅前は街頭演説する候補者であふれ、候補者が候補者に投票を呼びかける。通り過ぎるのは、25歳以下または30歳以下の若者。自分のチラシを配りながら他の候補者のチラシを受け取り、気に入らない候補者のチラシは道に捨てる。しかし、ほとんどの人が候補者だから、街が汚れても構っている暇はない。ゴミとなったチラシを片付けるのは、被選挙権を持たない若者や子どもたち──。
そんな世界はいやだなぁ、と思う人が大半だと思う。しかし、実際の候補者は全員が似たような壁を乗り越えて立候補し、選挙戦を戦っている。
こんな現実がやってくることは到底考えられない。しかし、みなさんも一度は真剣に「自分が選挙に立候補する可能性」を考えてみてほしい。
「自分が立候補しても、誰からも相手にされないのではないか」
「自分の考えを他人に伝えるためにはどうしたらいいのか」
きっと、誰もが深く悩むはずだ。そして、「自分は立候補できない」という結論に至る人も多いだろう。もちろん、そう思ったら、立候補しなくていい。立候補する自由もあれば、立候補しない自由もある。それが今の日本の民主主義だ。
それでも、一度、「もし、自分が立候補したら」と考えるだけで、選挙に対する見方は確実に変わる。なかには「やってやるか」と思う人もいるはずで、それこそが希望の種だ。
そうやって、選挙に立候補する人の数が多くなっていけば、世の中は大きく変わる。スポーツでも、競技人口が増えればレベルは底上げされる。今の日本の政治は、まだまだ競技人口が少なすぎると私は思っている。