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この座敷に花魁は永遠に来ない──十返舎一九『東海道中膝栗毛』と都会コンプレックス

『東海道中膝栗毛』の知られざる中身

 今回でこの連載も最終回。連載タイトルの元ネタだから、十返舎一九『東海道中膝栗毛』を選んだ。最初はそんな軽い理由だったが、毎月いろいろな近世文芸をてくてくと旅するように触れながら、やっぱりこの都会と田舎というテーマに帰ってきた気がした。そしてそのテーマは、約二百年経った現在も続いている。

 1802(享和2)年から1822(文政5)年の21年間にわたり出版された『東海道中膝栗毛』は、江戸っ子の弥次郎兵衛やじろべえ喜多八きたはち(北八とも。ここでは喜多八表記する)のふたりが、江戸・日本橋から伊勢神宮を目指し、さらに京都・大坂へと徒歩で旅する。ちなみに、続編では大坂から中国地方の宮島(厳島)で引き返して江戸に帰るところまでが語られる。狂歌や言葉遊び、川柳に興じながら東海道の名所をゆく、弥次・喜多 のドタバタ珍道中──というのが、教科書的な紹介だ。実のところ、本作は「教科書」的ではない内容もある、というか、そのままでは子どもには読ませられないエピソードが目立つ。

 まずは、弥次郎兵衛・喜多八の旅の動機。本作の刊行後、ふたりの詳細が知りたいという読者からの要望に応え、作者の十返舎一九は彼らの出自を明かしたプロローグを書き足した。そこで、彼らは江戸生まれではなく現在の静岡県生まれであることが明らかになり、弥次郎兵衛は地方の豪商の息子、喜多八は旅芸人が連れていた少年男娼で、弥次郎兵衛は喜多八の客だったことも語られる。弥次郎兵衛は男娼遊びに蕩尽し借金を作り、未成年の喜多八を連れて江戸に夜逃げしてきたのだ。

 ここまではいいのだ……ここまでは……。

 商業BLチックだけど、若くして春を売らなくてはならなかった喜多八少年と(客として出会ったとはいえ)地方豪商の子だった弥次郎兵衛が駆け落ちしながら、自分という存在を再定義してゆく、そんな旅になりそうで……。

右が弥次郎兵衛、左が喜多八。出典:国会図書館デジタルライブラリー
右が弥次郎兵衛、左が喜多八。出典:国会図書館デジタルライブラリー

 江戸に逃がれたふたりは金がないので、弥次郎兵衛は元服した喜多八を奉公に出し、自身はおふつという女性と結婚。時が経ち、おふつに飽きた弥次郎兵衛は、さるご隠居が妊娠させてしまったおつぼという妙齢の女性を身請けし、おふつを騙して離縁。しかし、このおつぼが身ごもっているのは実は喜多八との子であることが発覚。ふたりは奉公先で出会い、喜多八が強引に彼女と性的関係を持ったのだ。

 産気づいて苦しむおつぼを脇目に、真相を知った弥次郎兵衛と喜多八は喧嘩をしてしまい、放っておかれた彼女はお腹の子もろとも死んでしまう。さらに喜多八は奉公先の女性主人を誘惑し、ゆくゆくは自分が跡取りになろうと画策していたが、主人はそのもくろみにとっくに気がついており、彼を解雇。妻も職も失ったふたりは、自身の「不運」を嘆き、「いっそのこと、まんなおしにふたり連れで出かけまいか」と伊勢神宮へ行くことを決意。「まんなおし」は厄落としや景気付けのようなもの。そう、女性にとってはご愛嬌や滑稽では済まされない、腐れ縁で繋がっているとんでもないクズ男たち旅なのだ。

 さらに道中もこの女性への扱いの酷さが目立つ。女郎を買ったり女性をからかったりするならまだかわいいほうで、精神疾患にかかっている女性や瞽女(目の見えない女性の旅芸人)など、そのハンディキャップを悪用して社会的弱者を騙し、彼女たちと性的関係を持とうとさえするのだ。その多くは失敗し、ふたりは振られたり平謝りしたりと糊塗して滑稽な話として締められるのだが……いくら時代と感覚が違うものとはいえ、さすがに読んでいて気分が悪くなる。小田晋は本作を悪漢ピカレスク小説と説明しており(*2)とてもとても教育にはよろしくないものだ(*3)。佐伯順子はこの女性への性的関心やセクハラ行動が、弥次郎兵衛と喜多八のホモ・ソーシャルな絆を深めているのだと指摘している(*4)

 しかし、女性たちも負けっぱなしではない。旅が上方へ進むほど登場する女性たちの強さが増してゆく。これは私の感覚だけど、先述の瞽女がいた宮の宿(現在の愛知県あたり)から、ふたりと女性たちの立場の逆転が見えてくる。瞽女は非常に用心深く、夜這いに来た弥次郎兵衛を盗人だと思い大騒ぎして事なきを得るのだ。さらに京都では、まず美しい都会の女性に道をたずねたふたりが、違う道を教えられてからかわれる洗礼を受け、五条の遊郭では遊女たちに軽くあしらわれる。果ては喜多八が遊女に着物を貸すと、その着物を別の客との駆け落ちに利用され、女郎屋から駆け落ちの手引きをしたと間違われておしおきを食らう。喜多八は京都で買った着物を通りすがりの芸妓にダサいと笑われ、弥次郎兵衛は女商人から詐欺に遭う。

 これは勧善懲悪的な流れというより、この作品のジャンルが滑稽本という、主に遊郭での失態を笑う洒落本から発展したものだからだろう。当初は江戸っ子として登場したふたりがわざわざ後付けでお上りさんとされたのは、それほどふたりの行動は「江戸っ子」像からかけ離れているからではないか。

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児玉雨子

こだま・あめこ
作詞家、小説家。1993年生まれ。神奈川県出身。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。2021年『誰にも奪われたくない/凸撃』で小説家デビュー。2023年『##NAME##』が第169回芥川賞候補作となる。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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