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潤色昼世界 真夜中の裏──山東京伝「青楼昼世界 錦之裏」をリメイクしてみた

夕霧はどういう表情をすればいいかわからなかった

 川竹を待ちながらしばらく睦まじく話していると、あっという間に枕時計の文字盤が動き(*2)、半刻(一時間)が二人を通り過ぎてゆき、気づけば時計は夜四つ(午後十時)を指していた。

──何が正しいのか 何が愚かしいのか 貴様にわかられてたまるか

 隣の部屋で、手の空いた新造や禿たちがかるたをして遊んでいたが、飽きてきたのか最近流行している、女虚無僧で歌手のEdoの新曲「やかましか」を歌い始め、その声で夕霧は我に帰った。

「あの覆面歌手か。町でも至るところで子どもたちが歌っているよ」

「そうだね。他のお客さんに聞こえなければいいけど……」

「どの部屋も同じくらい騒いでるから、気にしなくていいって。なんか、今日落ち着かないけど、どうした? 顔色も悪いよ。まさか塩でも抜いてない?」

 すっかり時間を忘れて伊左衛門と過ごしていたつもりだったので、夕霧はどういう表情をすればいいかわからなかった。何かしら、たとえば他の客との関係を疑って、発破をかけているのかもしれない。そう思った夕霧は、素直に川竹を待っていることを伝えた。それから「いつまでも隠れているわけにはいかないし、伊左衛門さんの帰り道を取り計らってくれるから」と嘘を付け足した。

──遊びをせんとや生まれけん いまだ飽かず 伽藍堂のこの体

 隣の部屋から歌が聞こえた。

「そう。ならいいけど」

「川竹は頭がよく回るから、心配ないよ」

「うん……」

「何、不安なの?」

「そうじゃなくてさ」伊左衛門は困ったように笑って続けた。「顔が、ねぇ……」

 夕霧は驚いて伊左衛門を見ると、彼も驚いたようにこちらを見つめ返して「そんな深い意味っていうか、悪意はないよ」と笑って夕霧を抱きしめた。「でも、友達をそんなふうに言ってしまってごめん。夕霧を悲しませてしまった」

──困っちまうよ 何処の因果山

 伊左衛門のこういうところが嫌だ。彼は容姿も悪くないので、夕霧と出会う前も後も、たくさん言い寄られてきたのだろう。何の悪気もなく、他人を選んでしまう。まがき(*3)の前の客たちの熱心な視線ではないものの、自分に好意を寄せていない相手に対しても、料理番が魚を選別するようにさっぱりとした審査の目をしてしまう。むしろ、他の客と同じようにしてくれればいっそ嫌いになれたのに、と思う。ただでさえ見窄らしいなりでやってきたのに、さらに叱られた禿のようにしゅんとしてみせる伊左衛門は、あまりにもかわいそうで、甘ったれで、直視できない。

──憂き世を漂い ただ酔い 時間が私を通り過ぎてゆく

「わかってくれれば、まぁ」

 夕霧がそう言うと、ゆるされたと思った伊左衛門はまた強く彼女を抱きしめた。尻尾を振っている犬ようなはしゃぎようで、「夕霧はやさしい、やさしいね」と頬を夕霧に擦り付けてくる。とにかく伊左衛門は裏表がない。もっと小賢しくやれば、横領も自分のせいとばれなかっただろうし、勘当されてからも、真正面切って吉田屋に来て夕霧に会いたいと店の者に懇願してしまう。そしてひとの情けややさしさを、遠慮せず、意地も張らず、素直に欲しがれる。そんな純朴さを気に入って喜左衛門が彼を助ける気になるのだろう。

──しかたねえ しかたねえんだよ

 そして夕霧も、伊左衛門のこういうところが好きだった。

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児玉雨子

こだま・あめこ
1993年神奈川県生まれ。作詞家、作家。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。著書に『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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