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潤色昼世界 真夜中の裏──山東京伝「青楼昼世界 錦之裏」をリメイクしてみた

「やるよ。当たり前じゃん」

 川竹の戯言であることを祈りながら、あっという間に一週間が経ってしまった。

 時計は夜五つ半(夜九時)を指していた。 新町の門や橋に、客の足が増える。夕霧は茶屋へ客を迎えに行ったが、客が仕事で呼び出されてすぐに帰って行ったので、息を切らせて吉田屋に戻ってきた。

 店先にいた喜左衛門が「どうした、今日は早いな」と声をかけてきた。

「お客さんが仕事でトラブルがあったみたいで、すぐに帰っていきました」

 そうか、と喜左衛門は返事をしながら周囲を見遣り、夕霧にそっと耳打ちした。「伊左衛門が来ていたから通しておいた。川竹にも伝えている。彼女なら首尾よくやってくれているだろうから、安心しな」

 跳ね上がる心臓を抑えるように胸に手を置いた夕霧を見て、喜左衛門は「本当に伊左衛門が好きなんだね」と、少しさみしそうに言った。自分の頬は赤らんでいるのだろうか、それとも青ざめているだろうか。悟られないように俯いて頷くと、喜左衛門はますます嬉しそうに夕霧を中へ通した。

 自分の部屋に向かうと、襖の前に川竹が立っていた。夕霧の早い帰りに喜左衛門と同じように驚いた様子だったが、川竹はすぐに「伊左衛門さんには、押し入れの中に隠れてもらっています」と耳打ちしてきた。

「どうするの」

「まさか、伊左衛門さんが茶屋じゃなく直接うちに来るとは思いませんでしたが……とりあえず、他の子を茶屋に送る時の隙を見計らうので、ちょっと二人で待っててくれますか? まだ店先には喜左衛門さんがいるし……」

「そうじゃなくて、竹ちゃんはどうするの」

 夕霧は川竹の両肩を掴んだ。川竹は視線を逸らして「やるよ。当たり前じゃん」とそっけなく答えて、夕霧の手を振り払った。

「いくら勘当されたとはいっても、伊左衛門さんはあの家の一人息子だから……どうせ、すぐ落ち着く。この後の生活もきっと大丈夫」

 身を翻して、川竹は襖を開けて夕霧を部屋に突き飛ばし、そのまま音を立てて閉めた。襖に映った川竹の影は足早に去って行った。夕霧は追いかけようと立ち上がると、押し入れから男がぬっと顔を出して「夕霧ぃ?」と掠れた声で呼び止めた。

 振り返ると、破れかぶれになった手紙の着物を纏った伊左衛門が押し入れから這い出てきた。まぬけで、かわいそうで、かわいい。夕霧は部屋に飾ってある豪奢な打ち掛けを取って、彼の肩にかけて手を握った。ついさっきまで外に出ていた自分より、伊左衛門の指先が冷えていた。

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児玉雨子

こだま・あめこ
1993年神奈川県生まれ。作詞家、作家。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。著書に『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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