よみタイ

潤色昼世界 真夜中の裏──山東京伝「青楼昼世界 錦之裏」をリメイクしてみた

放火計画

「九日の真夜九つ (午前〇時)、新町の子たちで放火するんだってさ」

 一週間前、ひっちゃかめっちゃかに散らばった座布団の上で、簪で頭皮を掻きながら、夕霧に背を向けて川竹は言った。 隣の部屋では食器が塔のように重ねられた懸盤の下で、禿が前髪を額に張り付かせて眠り、そのそばでまたすやすや眠る新造の髪飾りがおかしな方向に寝乱れている。

「放火?」

 その日の時計は明け六つ時(午前六時)を指していた。夕霧は朝帰りの常連客を茶屋まで送ってきて、まだ日の登らないうちの透徹した空気を吸いながら吉田屋に帰ってきた。座敷に戻って蛍火ほどの火鉢で暖を取り、鉄瓶の中に残っていた白湯を転がっていたおちょこに注ぎ、鉄と酒臭さを嗅ぎながら口をつけようとしていたときだった。重たい眠気のもやが頭の中にかかっていて、川竹の言葉がすぐに飲み込めなかった。

「うん」

「いやちょっと、何、その噂」

「噂じゃない、計画。店をまたがって女郎の間で企てたんだよ」

「どうしてそんなこと知っているの」

「私もその計画に参加するからね」

 これから買い物に行くような軽やかさでそう言われ、夕霧は返す言葉を探していると、川竹がこちらに振り返った。まだ落としていない昨夜の白粉が皮脂でよれていた。

「あ、伊左衛門さんには言わないで。どこからバレるかわからないし……当日もし伊左衛門さんがもし店に来ちゃったら、時間までにとにかく逃げてほしい。まぁ、喜左衛門の旦那がいるとはいえ、なかなか来られないかもしれないけど」

 恋人の名前に動揺する様子を悟られまいと、夕霧は白湯を飲んだ。白湯に浮かんだ埃か小さなごみが、ざらざらと舌の上に残った。

 伊左衛門は大坂一の豪商の跡取り息子だったが、夕霧に入れ込むあまり店の金に手を出して、勘当されてしまった。伊左衛門は夕霧が送った手紙を糊で貼り合わせた服を着てなんとかこの寒さを凌いで過ごしているほど、手持ちの金も尽きている。吉田屋の亭主、喜左衛門は、家の金を盗んででもひとを愛そうとするその心意気を評価して、無一文の伊左衛門をたまに座敷に上げて、夕霧との密会を取り計らってくれた。喜左衛門の懐の広さは確かだが、計算高い男だ、ここまでやさしくするのは、きっと名家の若旦那に恩を着せているのだろう。いじらしい伊左衛門をかわいく思い、喜左衛門に感謝している。それでもひとりでいる時、目の奥が冷えてゆくような感覚を夕霧はおぼえていた。

「逃げるって……」

「西門でもいいし、東の新町橋でもいいよ。騒ぎが大きくなればなるほど門番の目を盗んで逃げやすくなる。新町橋からなら、橋が焼ける前に渡りきりなよ」

 東西にある新町の二つの門は、真夜九つ時なると締め切られる決まりだった。一度閉まると誰もそこから出られない。これは遊女たちの脱走を阻止するための措置だ。開いている昼間ではなくその時間を狙っているのなら、新町だけを客もろとも徹底的に焼くつもりなのだろう。

「そういうことじゃなくて、あんたはどうするの? その、ちゃんと逃げられるの?」

「わかんない。逃げ遅れたら、それまでじゃないかな。とにかく九日、一週間後ね、茶屋に客を迎えに行くとき私も理由つけてついていって、手助けするから」

「私が伊左衛門さんに言ったらどうするの」

「夕ちゃんだから教えたんだよ」

 ふたりだけの呼び名で夕霧を呼びかけて、川竹は視線を足下に落とした。年も近く、ほとんど同じ時期に女郎屋に売られてきたふたりは、禿の時代には互いを夕ちゃん、竹ちゃんと呼び合っていた。いっしょに振袖新造となって客を取るようになり、あれよあれよと夕霧は花魁になり、川竹は年季が明けても行く当てがあるわけでもなく、番頭新造として吉田屋に残った。そうなってからは他の新造たちや遣り手の目を気にするようになり、川竹のよそよそしい敬語にもすっかり慣れ、そう呼び合う機会は減っていったが。

 聞かなかったことにするね、と言い捨てて、夕霧は立ち上がって布団を敷いた部屋に向かった。舌に張り付いた小さなごみはその朝の間に取れないまま、部屋持ちの遊女だけに与えられる分厚い布団の中で目を閉じた。

 それから一週間、夕霧は願掛けで塩断ちをしてみた。川竹や喜左衛門には伊左衛門の身を案じて、と伝えたが、どちらのためか自分でもわからなかった。喜左衛門はますます夕霧と伊左衛門の関係に協力的になり、これこそ人情だとか、真の恋だとか、夕霧おまえ綺麗になったなぁがんばれよう、などとやたら上機嫌で話しかけてきた。川竹とはそれについて深く話すことはなかったが、淡々と料理番に塩抜きを命じて仕事をしてくれた。

1 2 3 4 5

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント
児玉雨子

こだま・あめこ
1993年神奈川県生まれ。作詞家、作家。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。著書に『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

週間ランキング 今読まれているホットな記事