実兄の孤独死をめぐる顚末を、怒り、哀しみ、そして、ほんの少しのユーモアで描いた話題作です。
『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』など、数多くの注目翻訳作品を手掛ける村井さんが琵琶湖畔に暮らして、今年で15年になりました。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と送る賑やかな毎日―。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。
2020.10.19
長く陰鬱な季節の豪華な幸せ、鍋料理—秋冬の村井さんちの食卓は

気温がぐっと下がりはじめた。長い冬がはじまるなあと、少し気持ちが重くなっている。私が住む地域は琵琶湖寄りというよりは比良山系の麓に近く、冬が長くて厳しい場所だ。山の緑と空の青が、景色のほとんどを占める圧倒的な夏が終わると、連なる山が次々と赤橙に色を変え、ある日突然、頂上を白くする。山裾に向かってグラデーションを描くように薄くなるその白は、徐々に黒い山肌と交ざり合い、灰色の絨毯のように広がって町に覆い被さるようだ。
この状況になると、連日、空には分厚い灰色の雲が居座り続ける。冷たい長雨が延々と続く。気温が下がれば、当然、それが雪になる。一旦降り出したら、なかなか止まない。琵琶湖は鉛色だ。山から吹き付ける冷たい風が、その鉛色の水の所々に白波を立て、不穏な雰囲気を醸し出す。そこに雪が混ざれば、湖面はシャーベット状態だ。あそこに落ちたらひとたまりもないなと、いつも思う。友人たちは、スキーができてうらやましいと言うけれど、私にとっては、冬は長くて陰鬱な季節だ。ストーブのスイッチをようやく切ることができるのは、年が明けて、五月も初旬になってからというのが、例年の、この辺りの気候である。
そんな冬ではあるけれど、私にとっては気持ちが楽な季節でもある。忙しいお母さんたちの味方、「鍋料理」を堂々と食卓に出すことができるからだ! わずかでも気温が下がると、私は待ってましたとばかりに鍋を出してくる。家族は、「え? もう鍋⁉」と驚くが、そんなことを気にしていては、いつまで経っても仕事は片付かない。わが家では、「そろそろ秋になるかな?」程度の時期ですでに、鍋料理スタートのピストルは高らかに鳴り響いている。
私が気に入っているのは、ほうれん草と薄切り豚肉の鍋だ。近所のお肉屋さんで売っている「バームクーヘン豚」(バームクーヘンを食べて育つ豚さんなのだろうと推測している)の薄切りを一キロと、ほうれん草を三束ほど用意する。肉の部位はあまり気にしない。それを鍋で煮込んで、すりごまをたっぷり入れたポン酢で食べるというシンプルな鍋なのだが、とても美味しい。わが家の男性三名+時々一匹が本気を出せば、一キロのバームクーヘン豚は、あっという間になくなってしまう。ちなみに、ポン酢は有名な馬路村のものが好きだ。シメは、うどんとなぜか決まっている。
気持ちに余裕があるときは、もつ鍋が登場する。もつは多めに買って下ゆでをし、脂分をキッチンバサミできれいに落とし、仕上げに湯引きしておく。白菜の葉の部分、もやし、キノコ類、ニラ、キムチ、焼き豆腐を準備し、勢いよく、ぐつぐつと煮込む。味が決まらないときは、市販のキムチ鍋の素で適当に誤魔化しても大丈夫なところが、もつ鍋の、懐が深く、素晴らしいところだ。子どもにはあまり人気がないが、私が好きだからいいのだということも、冬だとなぜか言えるような気がしている。シメはもちろん、ラーメン。それも太麺に限る。