2024.10.9
やっぱり蕎麦はいい
群ようこさんが小説の中で描く食べ物は、文面から美味しさが伝わってきます。
調理師の母のもとに育ち、今も健康的な食生活を心がける群さんの、幼少期から現在に至るまでの「食」をめぐるエッセイです。
イラスト/佐々木一澄
ちゃぶ台ぐるぐる 第10回 やっぱり蕎麦はいい
記事が続きます
三十年ほど前、一時期だが、蕎麦に凝ったことがあった。といっても打つのではなく、食べる専門である。たまたま引っ越した住まいの近くに、蕎麦店が三店あり、それをきっかけにして興味を持った。
私がその場所に引っ越してきたのを知った、地元に長く住んでいる知人が、
「○○には行った?」
と店名をいうので、
「どこにあるのか知らないです」
と返事をした。すると、
「えーっ、住んでいる場所から一、二分のところだよ」
と驚かれた。私は引っ越すと近所を必ず散歩してみるのだが、その店がある地域は未開拓だったのだ。
早速、その人が連れていってくれたのだが、店内は二十席ほどで、蕎麦と酒を前にした一人で来店している初老の男性や、小学生くらいの子ども二人を連れた、家族四人で来ている客、すでに食事を済ませた作業服の男性四人がいた。近所の人たちが訪れる店という雰囲気だった。店には年齢がばらばらの、三角巾にエプロン姿の女性三人がいて、厨房の中には年配の男性と、顔が似ている彼の息子らしき男性がいた。
「ここは量が多いんだよ。特に天ぷらがすごい」
そういいながら知人が視線を右にはずしたので、そのほうを見ると、ちょうど家族四人の席に、ざる蕎麦と天ぷらが運ばれたところだった。私が知っている蕎麦店の天ぷらは、三、四品ほどの小ぶりなものだったが、この店のものは、一人前でも小さくはない皿の上からはみ出るくらいの量だった。これだと家族四人でひと皿の天ぷらを分け合っても、満足できるのではないかと思った。蕎麦もおいしくて値段も高くなく、私はその庶民的な店がとても気に入っていた。
私が住んでいたマンションから、その店とは反対方向に三分ほど歩くと、いかにも高級そうな店があった。周囲の蕎麦好きの話を聞くと、庶民的とはいい難いが、なかなかの店だというので行ってみた。たしかに店の造りもすっきりと洒落た感じで、蕎麦もおいしくてそれはそれでよかった。しかし王道というか本筋を守ってか、蕎麦の量はざるにひと並べ程度で、分量としては一軒目の店の四分の一以下。値段は変わらないので、コスパの問題からいうと高めということになるだろう。お酒を嗜む人は、それでよいかもしれないが、私はお酒が飲めないので、どうしても蕎麦の量が気になる。蕎麦は手仕事で、それによって価格が違うのは当たり前で、一概に高いのが悪い、安いのがいいというわけではない。基本的な私の好みはあるけれど、満足する物差しが店によって違っていい。それはそれでよい、のである。
三店目は他の店よりも少し離れた、徒歩十五分ほどの距離にあった。店も大きく遠方から車で訪れる人も多かったようだ。蕎麦やつまみはおいしくいただいたが、つゆが甘めなので私の好みでは、他の二店のほうを優先したくなった。
そんな話をしたら、担当編集者の女性が、
「つゆが辛い蕎麦店がありますから、一緒に行きましょう」
と誘ってくれた。
「でもお誘いしたなかで、辛すぎて耐えられなかった人もいましたよ」
と付け足したので、へえ、そんなに辛いのかと、興味津々で待ち合わせをした店に出向いた。
有名店なので少し並んだけれど、十分ほどだったので、比較的スムーズに入店できたほうだろう。お店で働いている女性たちが、てきぱきして感じがよく、古いままの店構えもとてもよかった。周囲を見回し、こちらも昔からの伝統なのか、量が少なめのざる蕎麦を見て、
「もうちょっと食べたい気がする」
とつぶやくと、そばにいた店員さんが、
「うちは大盛りはできないので、どうぞ追加してください」
という。そういうシステムもあるのかと、他にエビの天ぷらを頼んで、蕎麦が運ばれてくるのを待った。
それほど待たずに蕎麦が運ばれてきた。すでに追加をする気満々なので、すぐに口に運ぼうとすると、誘ってくれた彼女が、
「つゆはほんの少しにしてください。どっぷりとつけてむせた人もいましたから」
と念を押す。そんなに辛いのかとちょっとびびりながら食べてみると、たしかに私が今まで食べたなかで、いちばんつゆが辛かった。しかし甘いよりはきりっと辛いほうがいいので、
「おいしいですよ。たしかにどっぷりつけると危険かもしれないけれど、そもそもそんなにつゆはつけないですよね」
私がそういうと彼女は、
「昔はもっと辛かったらしいんですけれど、お客さんからいわれて、少しマイルドになったようです」
マイルドになってこの辛さなら、以前はどれくらいだったのかと興味がわいてきた。
記事が続きます