よみタイ

やっぱり蕎麦はいい

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 それからは私が蕎麦が好きなのを知った、編集者の方々が、いろいろな蕎麦店で会食をしてくれるようになった。あるときとても評判がいいと聞いていた都心にある店に連れていってもらった。たしかに店はみるからにすっきりしていて、ざるに盛られた蕎麦もおいしかったのだが、何か口に残った。いったい何だろうと、同席している人たちに気づかれないように、そっと口から出してみたら、キッチンで使う、細く加工したステンレスをコイル状にして丸めたたわしの破片だった。それも一つではなく、二つも三つも出てきた。これを店側に告げると、せっかくこの場を用意してくれた人も気分を害すだろうし、私はその破片を隅によけて、残りの蕎麦を食べた。ざるを下げた人が注意深く見たら、どういう状況だったかわかるだろう。わからなかったらそれまでだが、残念ながら私のなかでは、二度と行かない店になってしまった。
 それからは女王様気質の、留守番できないネコと暮らしはじめたため、夜の会食ができなくなった。そして私も蕎麦への興味をだんだん失っていったので、友だちが行くといったら、ついていくという程度になった。そんなとき、また別の女性編集者が、
「ぜひ食べたいすだち蕎麦があるので、一緒に行きませんか」
 と誘ってくれた。その店のものではないが、私も写真で輪切りにしたすだちが一面に並べられているのを見て、何てきれいな蕎麦なのだろうかと思ったばかりだったので、すぐに行くと返事をして連れていってもらった。
 その店は下町や繁華街から離れた渋い場所ではなく、若者が集まるエリアにあった。店内は蕎麦店というよりも、喫茶店のような造りで、お洒落な雰囲気の男性が応対してくれた。
「こんなところなんですけれど。ずいぶん一般的な蕎麦店とは違いますね。どうなんでしょうか」
 連れてきてくれた彼女は、小声でいいながら店内を見渡した。私は口には出さなかったけれど、
(えっ、ここで蕎麦を食べる?)
 と正直、そう思った。
 いちばんいやなのは、座る席がソファだったことだった。お茶を飲むのだったらいいけれど、食事をするのにこの尻回りの緩さはないだろうと、感覚的に慣れなかった。しかしそういうことをいうと、向かいに座っている彼女にも気まずい思いをさせてしまうので、雑談をしながら蕎麦が来るのを待った。
 特に凝っているわけでもなく、ごく普通の器で、すだち蕎麦が運ばれた。一面に円形のすだちが並んでいるのは、とても爽やかでいいのだが、とにかく私の目と尻のバランスが、いつまで経ってもとれないのには困った。やはり鮨や蕎麦を食べるには、すべて直線がふさわしいと思った。縦横がきっちりしていると、こちらの気持ちもしゃきっとする。それらの食べ物を食べるときには、尻にくつろぎはいらないのだ。
 私は生まれてはじめてソファに座って、蕎麦を食べたのだが、まったくあいれないものだった。やはり鮨や蕎麦は固い椅子か座敷で食べたい。体の重心が固いところにないと、どうも具合が悪い。味も想像どおりで、
「わあ、おいしい」
 というような目新しいものではなく、食べる前がいちばん目においしかった。
 食べ終わって店を出ると、彼女が、
「どうってことはなかったですね。すみません」
 と謝ったので、
「自分ひとりだったら、絶対に食べなかったから、誘ってもらってよかったわ」
 と御礼をいった。これも大事な経験である。きっと店主は、他の蕎麦店とは違うコンセプトにしたかったのだろうし、蕎麦を食べる店についての考え方が、私とは大きく違うのだろう。私はソファがある喫茶店には入るけど、蕎麦店だったら入らない。
 これらの店に行ったのは、ずいぶん前のことなので、現在、どの店がまだ営業しているのかと調べたら、以前の住まいの近所の、天ぷら大盤振る舞いの一軒目と、ステンレスたわしの破片が入っていた店はすでに閉業していた。しかし他の店は営業中である。どの程度信頼できるか知らないけれど、グルメサイトのレビューで特に評判がいいのは、すだち蕎麦を食べたソファのある店だった。コメントなどを読むと、どの人もソファ席に座る問題については何もいっておらず、インテリアについては好意的で、広いリビングでゆったりと食事をしているようだったと書いている人もいた。リビングは食事をする場所ではないのではと思うが、若い人たちは食べられれば、そんなことはどうでもいいらしい。そんなことを書いているうちに、固い椅子か畳敷きの部屋で、きりっとおいしいざる蕎麦を食べたくなった。そう思いながらも月日はあっという間に過ぎていき、冬になってしまうのだろうなあと、むなしくなってきたのだった。

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次回は11月13日(水)公開予定です。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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